1976年「月刊プリンセス」7月号~8月号
この作品の批評だけはあまり書きたくないのです。
私は良い作品に「泣いてしまった」という言葉で讃えることを良しとしない派に属していますし、そんなに泣いたりしないつもりです。
萩尾作品でもそうそう泣くことはないのですがこれだけは何度読んでも泣いてしまいとりとめがつかなくなってしまう。
なにがそこまでツボなのか自分でもよくわからないほど泣いてしまうのです。
しかし今回はとにかく書いてみます。
ネタバレします。
えーここを書くために再読(再再再再再々々々々読)したのでまた泣いた。
萩尾マンガの他のと何が違うのだろう。
まずは、アメリカマイアミという舞台。
可愛くない女の子とブサイク(失礼)な中年(とはいわないか)男という組み合わせ。
しかしこれほんとは可愛い女の子だし、奔放な美少女に振り回される男という設定はいつも通りなのである。
さて冷静になって考えればこの物語は萩尾望都氏の心の叫びなのだろう。
リュー(リュシエンヌ)はフランスのブドウ農園の大切なお嬢様として育てられた。長い髪に白いドレスを着て何不自由なく暮らしていた。
そのリュシエンヌは不治の病にかかり家を飛び出しアメリカマイアミまで逃げてきたのだ。
リューの素性を知ったグラン・パは言う。「おまえ、親不孝だぞ」
「死んじゃうっていうことがね」
この物語は作者自身のことなのだ。
リューは両親から逃げ出して歌を歌い始める。歌を歌うことがリューにとって初めて自分の心を人に伝えそして記憶してもらうこととなった。
「なにものかになりたかった」と願うリューは歌うことで自分の夢をかなえたのだ。
両親はグランパの言葉を聞いてリューの幸福のために歌わせる決意をして帰っていく。
本来ならこんなことはないのかもしれない。
(娘がもうすぐ死んでしまうというのに遠い国に置いたまま帰ることはないだろう)
しかしこれは寓話である。
リューは歌うために病気になり死ぬのである。
それがためにリューは美しい女性となって結婚し子どもを生む、という未来は来ないのだ。
それは萩尾氏自身の人生を描いたものではないのか。
いや結婚し子どもを生んで歌を歌う(あるいはマンガを描く)人生もあるのだけど萩尾氏自身にはそれがなかった、という思いが込められたマンガ作品なのだ、と思う。
リューは長い髪で白いドレスのお嬢様のままで過ごしやがて結婚しかわいい子を生むという人生とそれを捨てて歌を歌う人生とどちらが幸福だったのか。
萩尾望都は後者を選んだ人なのだ。
大まかに言えば私は前者を選んでしまい、だから泣いてしまうのかもしれない。
分析してしまったからもう泣かないかもしれないな。
よかったのか?