1978年「別冊少女コミック」3月号~5月号
なぜ萩尾望都はこの作品を描いたのでしょうか。
まるで観てきた西洋映画をひとまとめにしたような、いわばオリジナル性の低い、ある意味奇妙な作品にも思えます。
しかしこうして執筆順に追いかけていると『百億の昼と千億の夜』(1978年2号まで)の直後に描かれたと思しきこの作品、前作のとてつもない大宇宙から地球へ戻ってきたためかもしれません。
と言っても飛行機の話ですしこの後今度は『スター・レッド』でまた宇宙です。
そう考えると、地球でのひとときのやすらぎを描いたようにも思えます。
ネタバレします。
登場人物設定は萩尾望都作品の基本線「奔放な美少女とそれに翻弄される男たち」ではある。異質なのは主人公ヴィクトリアの両親が子ども思いの優しい人格に描かれているということでこれは萩尾作品としては不思議にさえ思える。
それのせいもあり本作は極めてかちかちに作り上げた「創作的な作品」に感じられる。
と書くと否定しているようだがこれが読んでいるとなかなか面白く読めてしまうのも確かでそれどころか何度も涙まで溢れて感動させられてしまうのだ。
それは強引に引き出されてしまう涙ではあるがどういうものかまったくいやではない。
そしてまた読みだしてはちょっと泣く、というのを繰り返している。
作品の舞台はイギリス1900年初頭、まだ飛行機が存在しない頃から物語が始まる。気球に乗ることが空の大冒険だった。
金色の巻き毛を持つ美しく愛らしいヴィクトリアはその明るさで子供時代からみんな特に男子、男性たちを惹き寄せる魅力を持っている。
裕福なヴィクトリアの家庭に引き取られた孤児のビリー・バンは特に彼女を想い続けている。
しかしヴィクトリアの父は自分の事業で開発してきた飛行機の試乗をし、着陸の衝撃で脳障害を負ってしまう。
そこからヴィクトリアの優雅な生活は崩壊し病気の父親を抱えて母と娘ヴィクトリアと養子のビリーは苦労する。
が、ヴィクトリアはこんな惨めな生活は嫌だと自分の美貌を活かしてホテルの従業員となってチップを稼ぎ騒動を起こしクビになった後は会員制クラブの踊り子となって金持ちの男爵にみそめられ結婚し再び優雅な暮らしを手に入れるのだ。
一方のビリーはそんなヴィクトリアを眩しく見ているだけだったが彼女が男爵と結婚したのを機に飛行機に夢中になり、やがて始まった第一次世界大戦で空軍兵士として赴き戦死を報告される。
長い年月に次々と起こる出来事を簡潔に描き切っていく手法は神業としか思えなくその間に何度も涙を搾り取られてしまう。
特にヴィクトリアのベビーであるコニーがひきつけを起こし命を危ぶまれる。嵐の中ビリーが操縦する飛行機で主治医のいるフランスまで飛行機で飛ぶしかない、という時にヴィクトリアの父親が動かない体を動かして孫娘を抱きしめる場面は何度読んでも泣いてしまう。
優しかったスティーブンスを失ったヴィクトリアを励まそうとしてビリーは新型飛行機の実験飛行に彼女を同乗させる。
気球から飛行機まで空を飛ぶことを物語に絡ませていく技巧には唸るしかない。
そしてビリーは心弱くなったヴィクトリアに付け込みたくないとしてアメリカに飛行機の技術を学びに行くという。
が、彼女こそが自分が求める愛そのものなのだとわかったビリーは数年後少し大きくなったコニーとヴィクトリアに再会する。
その後ふたりがどうなったのかは「恋人ならいいわ」というナレーション(地の文)でわかるはずだ。
要約すると「よくある話に思えるのにめちゃくちゃ泣いてしまう」という感想である。
これは先に読んだ『アメリカン・パイ』にも言えることだ。
以前にも書いたが私は「泣ける話」という感想は誉め言葉ではないという信条を持っているつもりなのだがどうしても人間なのでその信条が歯止めにならない時がある。
萩尾望都が泣かせにかかってきたら抵抗できないのだ。
なので本作は「萩尾作品」の中では好きな作品としては挙げ難いが「泣ける萩尾作品」としては『アメリカン・パイ』と1,2を争う。
いや好きではない好きではない。