1979年「セブンティーン」5月号~8月号
夢を見ているような作品です。
ネタバレします。
美しい姉と弟のあり得ない美しい物語なのだが少しだけ角度を変えれば現実の物語として存在する気もする。登場人物を普通以下にしてここまで極端な裕福な状況にしなければ。
しかしここではそんな意地悪はせずにこの幻想的ともいえる作品世界に入ってみよう。
主人公は萩尾作品の定石どおり、奔放な美少女で周囲の男性を翻弄していく。
親もいつもどおり父親は不在で母親は病気で気難しく姉弟との絆とは対称的にほとんどつながりを持っていない。
ここにこの姉弟に心酔しきっているジェラール(金持ちの叔父を持つ)が加わる。
この物語に陶酔できるかどうかは彼ら(特に姉弟)が浸る「夢幻の中へ出かける」ということだろう。
これは麻薬などを使わず(これは重要だ)に自分の意識を想像の世界へ落とし込めるか、ということだろう。
たぶん萩尾望都氏はこの体験をいつもしているのだろう。そして多くの作品を描いているのだと思う。
多くの人は子供時代にはよくこの世界へと出かけていたに違いないが大人になるほどそこへ出かけていくことは難しくなるのだと思う。
なにしろこの作品でも姉弟はおとなになる前にいなくなってしまうから彼らが大人になってもその世界へ出かけられたかどうかわからない。
私自身も子供時代はよく出かけていたが大人になってからはそんなことができなきなってしまった。
だがきっと萩尾氏は今でも出かけられているのではと思われる。
夢幻の世界でポールはひとりの神の姿を追っている。
幼い時それはダルジュロスという少年の姿をしており思春期を過ぎてアガートという女性となる。
しかしそれを見守っているのは美しい姉エリザベートでありポールはついに姉とともに永遠の無限の世界へと出かけていく。
世の中に「マンガの描き方」という類の指導があるけれど萩尾氏のマンガ創作はきっとこの「夢幻へ出かける」ことなのだろう。
そして面白いマンガを(特にファンタジーマンガ)を描く作家たちはこのお出かけが得意な人たちなのではないか。
この指導はできるのだろうか。
いやこればかりはやはり持って生まれた特質なのではないだろうか。
つまり「恐るべき子どもたち」はそういう人たちのことなのだ。