ガエル記

散策

『エッグ・スタンド』萩尾望都

1984年「プチフラワー」3月号

この物語がとても好きです。

というかラウルが好きです。

マルシャン、てめえは許さん。

 

ネタバレします。

 

といっても私自身もマルシャンなんだろう。

 

この物語は、というかこの物語もまたとても理屈っぽい話なのだ。

「おとなたちは戦争で多くの人を殺すのになぜ僕が人を殺してはいけないの?」

という子どもの論理をやらかすからだ。

ラウルもまた戦争がなければもしかしたら幸福な人間として過ごせたのかもしれなかった。

戦争でパパが政治犯で処刑されてラウルとママは村八分されそのせいもあってママはラウルを過剰に愛した。

ママを殺すことで生き延びることができたラウルにとって人殺しは生きる術となる。

しかし戦争の時代でなければ彼はそんなことをしなくてすんだのだ。

綺麗な愛らしい顔をしたラウルは男にも女にも好かれそして戦争の手段の一つとして利用されていく。

そんな中で17歳で踊り子をしているルイーズだけはラウルをほんとうに可愛い子どもとして愛しんでくれた。

彼が人を殺したと聞いた後でも「あなたは生きてるわ。やりなおせるわ」と言ってそっとキスしてくれる。そのキスを受けてラウルは初めて涙が零れ落ちるのだ。

 

しかし戦争の中でユダヤ人のルイーズは生き延びることができない。

彼女を救おうとしてできなかったラウルは彼を利用して約束を守らなかった(とラウルが感じた)男を撃ち殺す。

ルイーズの死を知ってその死の原因がラウルにあるとマルシャンは考え怒ったのだろうか。

それともこのまま殺人を続けるラウルへの同情なのか、彼がまたさらなる犠牲者を生まないための算段なのかマルシャンはラウルを撃ち殺す。

 

だけどなぜ?

マルシャンは自分自身で「誰がおまえを裁くだろう」と考えているではないか。

裁くのは神のみでマルシャンではないはずなのに。

おとなたちは勝手に戦争を起こして罪もない人々を殺しまくりその犠牲者であるラウルを勝手に殺してしまう。

なんという偽善者なんだろう。

わたしはマルシャンに反吐が出ると言ってやりたい。

善人ぶってんじゃねえぞ。おまえのせいじゃないか。

でもおとなは皆マルシャンなのだと自覚しなければならない。

 

戦争の無い世界を望む。

そこでもまた別の苦しみが生まれるのだとしても。

マルシャンなんぞはいらない。