1984年「プチフラワー」12月号
本作にこそ溺れてしまいます。
ネタバレします。
主人公の少年、定番の親に愛されなかった子どもであり繊細な美しい少年だ。
海辺でひとり何かを探しているがっしりとして無骨な中年男に声をかける。
「なにか、探しているの」
不愛想に答える男は大西洋で難破した船の木切れやらしゃくしやらを拾い上げているという。
少年は手伝おうとして海水に尻もちをつきずぶぬれになる。
男は少年の腕をつかみ「来な」といって浜辺に建つ家に連れて帰る。
もうこの冒頭で悪いことが起きる予感しかしない。
こんな不気味な男に少年は何故すり寄っていってしまったのだろう。
可愛らしい容姿の少年は濡れた服を脱ぎ大きなタオルにくるまっている。まるで船の中のような部屋で少年はくつろぎそのまま眠ってしまうのだ。
後に少年は新聞で連続少年殺人犯逮捕の記事を見てもう少しで自分のまたその犠牲になっていたのかもと考えた。
その日から少年は何度も繰り返しその男に殺される夢を見る。
どことなくブラッドベリを思わせるがもっと現実的でもある。
特出すべきは中年男と美少年の夢のような物語を中年男からではなく美少年から妄想していることなのだろう。
少年は両親からの愛に餓えていて中年男に捕らわれ殺されることをまるで愛されたことのように妄想していく。
その感覚は奇妙なものである。
もしかしたらほんとうに殺されていたかもしれない、というギリギリの緊張が少年をよけいに惹きつけてしまうのだ。
少年はその幻想に酔いしれ一冬をその熱にうなされ過ごしてしまう。
ところが春が来て男の家に近寄ってみると男の家には妻らしき女性と自分に近い年齢の男の子がいたのだ。
すべては少年の思い込みだった。
あの新聞記事の犯人は似ているだけで別の男だった。
それでも少年は男と一緒に海の底に沈んでいく夢を思い出す。
萩尾望都はかつて『トーマの心臓』が男子同士の関係なのを「主人公を女の子にしてしまうと生々しくて嫌だから男の子にした」と言っていたがこの物語が男✖女の子であっても女✖男の子であっても女✖女の子であっても(萩尾望都が描くなら)面白いようにも思える。
でもやはり萩尾望都なら男✖男の子なのが一番なのかもしれない。