ガエル記

散策

『Marginal/マージナル』萩尾望都 その1

1985年「プチフラワー」8月号~1987年10月号

わたしは絶対この作品をよくわかっていないので今回もっとゆっくりきっちり読んでいこうと思っています。

 

 

ネタバレします。

 

 

プロローグ「ホウリ・マザ」

漫画はモノクロなのでよくわからないが、美しい少年(?)が光の中を歩んでいる、かのような姿が描かれる。

(つまりキラが彷徨い歩いている姿なのだろう)

 

一転して老いた男が怒っている場面となる。

老男はどうやら地方から都市へ談判に来たようだ。

要求は「子どもをよこせ」ということだ。

毎年の税も払っているのに約束の「子供」を何年も「都市」が与えないというのだ。

が、都市の代表である男は冷静に「ホウリ・マザは年老いて出産率はずっと落ち続けている。今年は無理だ」と答える。

 

この世界では税金を払うことで子供を与えられるという仕組みになっている。

逆に言えば自然に子供は生まれてこないのだ。

これは後に「この世界」が「男だけしかいない世界」だということと知らされていく。

登場人物の服装から見て、またこの作品世界が砂漠地帯と描かれているのを見て「アラブ世界」=「イスラム社会」=「男だけしか見えない社会」を意味しているように思えるがもう少し考えれば現在の日本社会、さらに地球の多くの社会が「女性」という存在を忌避し皆が男性でありたいと望みその結果少子化になっていく状況を意味しているようにも思えてしまう。

「男性でありたい」というよりも「女性(子供を産む存在)になりたくない」と表現すべきかもしれない。

ここで登場するホウリ・マザを見てしまうとますますその気持ちが高まるかもしれない。

ホウリ・マザはどんな生活をしてきたのだろうか。

大事にされてはいるのだろうがそれはあくまでも子供を産むのが彼女だけだからだ。

一日に何十人もの子供を産む?それだけの存在?

いっそのこと滅びてしまえと思うのは自分が昆虫ではないからなのか。

 

先に進む。

 

さらに別の人物に移る。

グリンジャという若いがこわもての男だ。

眼のふちに青い刺青をしている部族だ。その部族はもう5人しかいない。

彼らがこの都市そしてセンターに来た理由は「マザを殺す」ためだった。

冒頭で「母を殺す」とはさすが萩尾望都、というべきだろうか。

彼女の「肉親憎悪」の凄まじさを思う。

しかし年老いてなお「子供を産み続けなければならない」のならグリンジャはむしろ正義とも思える。

 

グリンジャたち五人は皆で「母殺し」にやってきた。

仲間の老いた男は自分の腕輪をグリンジャに渡し「今夜は色子でも買ってこい」と言うのだった。

「男だけの世界」では「色子」という存在が情欲の相手をする。

この世界では子供時代は肌色が黒や茶色なのが10歳くらいで色抜けしはじめる。

一年もすれば白くなって安定するという。

ところがグリンジャが買った色子は手や額に色が残っていてグリンジャは「子供は抱かんぞ」という。

買われた色子=チトは「子供じゃない。もう15だ」と答える。

現在社会では15歳は子供だが、この世界は平均寿命が35歳でありその割合で15歳は「もう子供じゃない」のだろう。

さらにチトは部分的に色が残ったためにセンターに呼ばれて行ったと話す。

暗殺者のグリンジャはここではっとなったのだろう。

他愛なく話すチトにグリンジャはさりげなくセンターの様子を問うていく。

 

ホウリ・マザが姿を見せる日がきた。

多くの民衆がその姿を見ようとバルコニーの前に集まるのだ。

市長は心穏やかではない。

「ホウリ・マザは?」

これにメイヤードは落ち着いて答える。

が、一方グリンジャは色子のチトから聞いた情報で聖堂の向こう側へと進む。

正午となりホウリ・マザがバルコン(バルコニー)に現れた。

全人類の母が。

その老いた姿に人々はどよめいた。

しわだらけの顔身体そして萎み垂れた乳房。

マザは血を吐き倒れる。

突然の出来事に集まった民衆はどよめく。

そこへ市長が姿を見せ呼ばわった。

「ホウリ・マザはたった今、古い肉体をお捨てになった」

更なるどよめき。

「悲しむことはない。マザは蘇る。これまでもそうだった」

民衆は繰り返した。

「よみがえる。よみがえる」

「新しいマザが!」

 

メイヤードは咄嗟の機転で窮地を脱した市長をねぎらい、マザの舌に毒矢が刺さっていたと知らせる。

グリンジャたち五人による暗殺だった。

ひとりが暗殺者としてつかまった。(グリンジャではない)

市長には唯一の母の暗殺をすることが信じられなかった。

 

 

ほんの30ページ少し。あまりにも考えることが多すぎて進まない。

少子化に悩む現在の日本社会(多くの社会でもあるが)のようだ」と書いたが本作品は1985年のものだ。

まだ少子化などを悩んではいなかったはずだが?

経済成長どころかバブル経済で浮かれまくっていた頃だ。

この暗黒のSFが当時どう受け止められていたのか。

虚しいことに私はリアルタイムで読んでいなかった。たぶん読んでも理解していなかったとは思うが。

SFは予言の書になる恐れがある。

本作は西暦2999年舞台となっているがむしろもっと早く、というか今すぐにもこれになってしまいそうだ。