1988年「プチフラワー」2~3月号
この本を持っておりまして再読しました。
甲斐バンドと甲斐よしひろのアルバムから選曲してマンガとして描いたという作品。
この時期の萩尾望都にこんな試みをさせるのは本人が希望しなければとてもできないものでしょうが、萩尾望都自身が甲斐よしひろに惚れ込んで描いたのだから当然と言えば当然だ。
この本の巻末に「アルバム紹介のおしゃべり」という文がありますがこれを読むと萩尾望都がどんなふうにこの作品を作っていったかがわかる。
萩尾望都と甲斐よしひろという組み合わせはぱっと見まったく違うものにも思えるかもしれないが実は非常にシンクロしているのかもしれない。
事実私はその両方が好きなのだからわかる気がする。
両人の対談も収められているがその話からも作品を考えていく過程がとても似ているようなのだ。
ところがちょっとレビューを覗き見るとこの作品は「萩尾望都の駄作だ」とまで書かれているのもあって大いに不満なのである。
まあ他人様の感想に文句を言っても仕方ないし求めていたモノではなかったのだろう。
とやや怒りつつ
ネタバレします。
と言っても私がこの作品を物凄く理解しているわけではない。
むしろよくわかっていない。
甲斐は大好きだけど深いマニアではないからこの作品に使われている歌曲がどのように物語とシンクロしていっているかを共感しているわけではない。
判るのはよくありがちに甲斐バンドの名曲と言われるものを羅列して無理やり一つの作品にしてしまうのではなく甲斐よしひろ世界に萩尾望都が共鳴してさらなる宇宙を作った上でそれに沿った歌曲を選んでいるのだということだ。
だから「あれ、あの歌使ってない。なんでだよお」みたいなのは問題外である。
もうひとつ感じたのはこのマンが自体がミュージカルとして作られているのだ、ということだ。
これはマンガであってマンガではないミュージカルのシナリオなのだ。
だから「萩尾望都にしては深みがない」だとか「ありきたり」だとかいうのは的外れで萩尾望都はこの作品で「甲斐バンド・甲斐よしひろとミステリーを掛け合わせたミュージカルをマンガという二次元で表現する」ことをするためのシンプルな筋立てにしているのである。
ミュージカルにはミュージカルに適したシナリオが必要でたぶん萩尾望都の難解なマンガを実際のミュージカルにするためにはよりシンプルなものに変換する必要があるだろう。
それを萩尾望都が自分自身でミュージカルマンガとして描いているのである。ややこしい。
そしてこの作品以降萩尾望都はとり憑かれたかのようにミュージカル、バレエ、踊り、舞台の世界を数年描き続ける。
本作はそのとっかかりともいえる作品でもある。
いちばん良いのはこの作品をほんとうにミュージカルにして上演してもらうことなのだろうがそれだとまた「それ」の出来栄え如何となるのでとにかく自分の頭脳で映像化してしまうしかない。
主人公のルイはむろん甲斐よしひろ。
小柄で丸顔で子供っぽい。
歌手ではなくミュージカルダンサーとして描かれていく。この顔立ちと少年体型のイメージはこれ以降に受け継がれていく。
気が短くてカッとなりがち、だけど可愛い、というキャラ設定も甲斐よしひろ由来のイメージで萩尾望都の定番になっていく。
甲斐バンドの歌曲を知らないと好きじゃないとこの作品を楽しめない、という愚痴も見られたが私自身読んでて歌が流れるほど熟知していないものでも楽しめたので大丈夫なのではなかろうか。