1988年「プチフラワー」7月号~1989年1・3・5・7月号
独特の味わいのバレエマンガです。
ネタバレします。
バレエマンガと言えば私にとっては山岸凉子で他にない、というくらいなのだが萩尾望都の本作を読んで山岸凉子とはまったく違う描き方に驚いた。
まず私はミドリが嫌いだ。
嫌いなんだけど読んでしまう。
これ一番まずいパターンの奴。一番引きずり込まれる奴なんだ。
というか。
本作の家族物語&恋愛編はちょっと苦手なんだけどバレエパートは本当に好きだ。
特にサンダーの「ほんとうに美しいバレエを踊れる女性と踊りたい」という思い入れが当然とはいえ惹かれてしまう。
そしてこのサンダー君が前回言った甲斐よしひろ的小柄短気男子キャラなのである。
山岸凉子バレエマンガとどうしても比較してしまうのだが、両方最上に好きという前提で語るのだが山岸バレエが容姿にこだわりすぎるのに対し萩尾バレエは容姿コンプレックスがかなり少ない。
『テレプシコーラ』ではひとみちゃんが病気になるほど太目なのを気にしていたのにそれをはるかに越える肥満体なのにもかかわらず玉子ちゃんがごり押しで合格してしまうのがなんとも痛快なのだ。
みどりのライバルであるレイチェルも夢見るような美しさというよりちょっとファニーフェイスな魅力なのもおもしろい。
サンダーも小柄なのをまったく気にしていないのが(いちおう本作中では)読んでいて頼もしい。
みどり自身、下手だと言う恐れはあれど容姿に関しては殆ど気にしていない。
ダンサーたちが全体的に頭身低くて柔らかな動きなのも楽しいのだ。
山岸凉子バレエマンガが大好きな上での感想なのだが。
主人公みどりが家族の様々な問題悩みの中で新しいバレエ環境に入りそこでの苦悶を乗り越えながら家族の問題も次第に解かれていく。
サンダーとの初々しい恋愛もバレエ『十二宮フェスティバル』のスピリットの練習の中で紆余曲折しながら成長していく。
こうした構成は山岸バレエにはまったくないものだ。
物語の作り方がまったく別の方向性だと感じてそれがおもしろい。
『十二宮フェスティバル』は萩尾氏の創作だと思うけどバレエというより華やかなミュージカルという感じで楽しそうだ。
誰かが特別なスターになるというものではなく集団として魅せていく。
最後のみどりとサンダーの感動が伝わってくる。
付記になりますが手持ちの本の巻末に萩尾望都氏の手塚治虫先生への追悼文が収録されている。
実は変な話なのだが今回この本を再読しようとした時、なぜか偶然手塚治虫『ブラックジャック』が目に入り手に取って机におきました。
「なぜ?今から『フラワーフェスティバル』を読もうとしているのに?関係ないのに?」と訝しみ読み終わったらこの追悼文に気づいたのでした。
単なる偶然にすぎないと思うのですが(追悼文のことは完全に忘れてました)不思議な気持ちになってしまいました。
手塚治虫氏が亡くなったという知らせを受けたのは1989年2月だったとのことで文面から萩尾氏の動揺と深い悲しみが伝わってきます。
それはそれとしてその前のページにみどりが「わたしたちのフェスティバルははじまったばかりなんだ」と強い意志と希望を持つ横顔が描かれているのも何かしらの意味を感じてしまうのでした。