「プチフラワー」1992年7月号~2001年7月号
ついに萩尾望都最長編にたどり着きました。(『ポーの一族』のシリーズものは除外して)
なのに私は本作が苦手でまったく好きとは言えません。とても内容が辛いからです。
嫌いと思うのが正しい気がします。
しかしこの作品をスルーしてしまう、もしくは一回で軽く話すことはとてもできないと思います。
本作で主人公は苦しみ続けたのです。
私も彼の心に寄り添って苦しみを少し舐めてみましょう。
ネタバレします。
とはいえ幾度か読み返した作品でもある。
順に追っていくのではなくできるだけ全体を通じて語りたいと思う。
どうなるかわからないが始めよう。
本作が最大の長編になったのは無論本作が毒親に対する子供の苦しみを描いたものだからだ。
萩尾望都が毒親問題をきっちり語ろうとすればこの長さが必要だったのだ。
毒親名作短編『イグアナの娘』だけでは解毒が足りなかったのだろう。
しかし日本舞台で娘(つまり萩尾望都と同性)を主人公にした『イグアナの娘』とは違いやはりいつものように外国(イギリス)舞台で主人公は男の子という「逃げ」になってしまったのは仕方ない、というものだろう。
『イグアナの娘』が大評判になったのはやはり日本舞台で娘だったからだと私は思う。
そして『残酷な神が支配する』がなんらかの受賞はしても大評判とはならなかったのは「外国の男子」という設定だったからだとは思う。本作が日本舞台の女性の話であったのなら、とは思ってしまう。
しかし萩尾望都はそもそもそのスタイルで自分の心を見つめ続けてきたのだしその点について私はそれほど疑問には思っていない。
さて第一巻の頁をめくろう。
第一ページいきなり
「ある悲しみの話をしようと思う」
とある。
人間は描かれておらずすっかり葉の落ちた痩せ細った樹々が立ち並ぶ冬の情景だ。
その樹々の間を細いが深く切り裂くように川がある。
たぶんこれは主人公ジェルミの心象風景でもあるのだろう。
次の頁で葬式が行われているのが知れる。
後にジェルミの義兄となるイアン。会話から交通事故が起き彼の父は重傷でまだ生きている。そして葬式はその妻、二度目の妻でイアンの義母となるサンドラのものだと判る。
そしてサンドラは主人公ジェルミの実母である。
つまり最初にジェルミの最愛の母サンドラが死んでしまったところから始まるのだ。
これは『トーマの心臓』で友人ユリスモールのために自死したトーマと重なるがサンドラは事故で(殺人でもあるが)あって自死ではない。
しかしそれでも主人公ジェルミの最愛の人が亡くなった場面から始まることは『トーマの心臓』と同じなにかを感じさせる。
義弟であるジェルミが泣きながら立つこともおぼつかないのを見てイアンは支えてあげようと近寄る。
そのためにジェルミが小さな声で「あいつが死ぬはずだったのに、なんであいつの車にサンドラ・・・」とつぶやくのを聞いてしまうのだ。
イアンは突然父と再婚したサンドラとジェルミが我が家に来てから奇妙なことばかりが続き父が自動車事故を起こしたのを思い出しながら「こいつは人殺しだ」と義弟を見るのだった。
そして次の頁で、まだサンドラとジェルミがアメリカボストンでふたり暮らしをしている時間に戻って進行する。
つまり母サンドラが死にジェルミに「あいつが死ぬはずだった」と言われる義父グレッグが重体となってしまう未来が先に語られるのだ。
最愛の人、そして憎悪の対象者が死ぬ場面は物語のクライマックスともなるはずなのに何故最初にネタ明かしがされてしまうのか。
それは後の話を思うと衝撃を受け苦しむ読者に対し「その苦しみはそう長くは続かないのでそしてそのことで主人公が自殺したりはしないので安心して読んでいってください」という気遣いなのだろうか。
実を言うと私はこのページをほぼ読み飛ばしてしまったのでまったくその気遣いが役に立たず苦しんだのだ。
そんな読み飛ばしをするような不実な読者はそういう目に遭うという戒めである。私が悪い。
戻った時間軸、アメリカボストンのサンドラとジェルミの生活は明るく幸福そうである。そこには確執はない。
ジェルミは普通に可愛らしいガールフレンドとのデートを楽しみにしている。いたって平凡で普通の男の子であることが強調される。母サンドラとも良好な関係でそのまま行けばごく当たり前の平和な生活が続いていたのだろうと思わせる。(少なくともここまでの描写では)
そこにすばやく悪魔が登場する。グレッグ・ローランドだ。
高級ブランドのシャツを着用するエリートの彼から求婚されサンドラは泣いて喜んだ。
しかしグレッグの狙いは彼女ではなくその息子のジェルミだったのだ。
この設定はナボコフ『ロリータ』を思わせる。
ロリータでもハンバートはロリータと名付けるほど気に入った少女を手に入れるために好きでもない彼女の母と結婚し後にその母は交通事故で死ぬ。
(事故と言っているが殺人だろう。ここも同じ)
違うのは『ロリータ』では母だけを死に追いやってわずか12歳の娘と旅をしながらレイプし続けたハンバート・ハンバートのやり方ではなく、むしろ愛する母親との結婚をやめるぞと脅かしながら母親の寝室の側で息子をレイプし続けるというグレッグがより恐ろしく気味が悪いということだ。
しかし現実にはこちらの方がむしろ多いのだ、というのもおぞましい。
さて次第にどうしてジェルミがこの恐ろしいグレッグ・ローランドの罠にはまってしまったのかが語られていく。
極めて幸福な落ち着いた母親に見えていたサンドラが実は以前にも求婚されたのだがジェルミがいたために結婚できなかったことが明かされる。
それを思い出したジェルミは自分の存在がサンドラの幸せを阻んでしまったのだという呵責を負う。そして今また「自分のせい」で望んだ結婚が破棄されそうになる。
条件はその男とセックスをすること、だった。
さて、この話が日本舞台で少女が主人公だったなら、どうなっていたのだろう。
しかし少年であるからこそ誰にも言えない秘密の関係になってしまったのだともいえる。
少なくとも1990年代では現在よりもそうだったはずだ。
まだ16歳の少年ジェルミはなんとかしてグレッグに抗おうとするがどうやっても彼に勝てない。
私としては母親をうち捨ててどこかに逃亡した方がましだったのではと思うのだが母一人で育ててきてくれしかもここまで良好で仲良しだった母親を見捨てるなどできないのは当然と言える。
グレッグの罠はあまりにも狡猾だった。偶然も作用していたが、それさえもグレッグの想定内だったのかもしれない。
とにかくこの時にジェルミが『感謝知らずの男』になって逃亡できていたら、と何度も思う。
三十六計逃げるにしかず。これ以上の防御はないと孫子も言っている。
しかしジェルミは孫子を知らずグレッグの弱みを握ったと思い込んで彼の罠の中に飛び込んでしまうのだ。
苦しみの時が始まる。
すでに始まっていたが。