大事な話があります。
ネタバレします。
〔その17:誰もあなたの名前を知らない〕
ついに明美さんが大黒先生にキリヤの話を打ち明ける。
花小金井保育園に通っていたキリヤは給食に入っていた海老のエッセンスでアレルギーを起こし死んでしまったのだ。
ヨハネはキリヤを生き返らせてくれたのである。
ヨハネの息子として。
この話が一気に続けて話されないのでなかなかよくわからないのではないだろうか。
わかる人は超頭が良い。
キリヤは死んでしまった。
そしてヨハネが父親で借り腹で生まれた子どものひとり「タカ」が「キリヤ」となって明美さんのところへやってきたのだろう。
渡会は息子にほとんど会っていないので「あれがぼくの息子だ」と信じ切ってしまった。
記憶を都合よくすり替えてしまう、人間の特徴が作用したのだ。
渡会は眉が太い。
キリヤも赤ん坊だった頃父の特徴を受け継いで眉が濃くきりりとしていた。
なのに成長したキリヤは眉が薄くなっている。
「おかしいな」と思ったかもしれないが「思い出補正」が働いてそんな違和感を心の中で打ち消してしまったのだ。
バルバラにいるタカこそが本当のキリヤなのだろう。
バルバラに住む三人の子供たち青羽、タカ、パインは現世に対応できなかった子供たちなのだろう。
そしてのち、タカは本当のタカとなる。
が渡会の中ではそれは「タカ」ではなくもうひとりの「キリヤ」なのだ。
ほんとうの父親になりたいと切に願ったのはもうひとりのキリヤに対してだった。
その切実な思いは渡会にとってかけがえのない記憶なのだ。
わたしは何度も何度も本作を読み返してやっとつかめたように思える。
この読み解きが間違えているのか正解なのかはわからない。
さて元に戻ろう。
そしてここでもまた迷う言葉が出てくる。
北見からカーラーが遠軽へヘリでやってくるのだがこの時渡会が「あの老人はエズラ博士ですか?」と問う。
カーラーは「まったくの別人です。私たちは青(アゾーレ)博士と呼んでいます」と答える。
ということは?
エズラ=ヨハネではないかと思っていたものがすべて打ち砕かれる。
ところがその後、キリヤはその老人がヨハネだと考えパリスを呼んで確かめようとする。
ついでにライカもやってくる。
パリスは一度観た人は忘れないという能力を持っていてその老人を見ればヨハネなのか違うのかわかると言うのだ。
パリスは老化したその人物を見て「ヨハネだ。ナンタケット島で三姉妹を訪ねてきたヨハネだ」と感じた。
そしてキリヤは持ってきてもらった猩々の面をつけぼんやりと宙をみているだけのヨハネの前で舞い始める。
〔その18:はじめてのことだから〕
キリヤの猩々の舞は効果を示さなかった。
だが三姉妹に預けられていたというパリスにカーラーは興味を持つ。
研究に関する何かしらのものをパリスが受け取ったのではないかと期待しているのだ。
カーラーは青(アゾーレ)博士のために記憶障害の彼を12年間も支えてきた。闇のルートにも手を染め胎児も受精卵も手に入れてきたのだ。
その努力に報いてほしいとカーラーは切望する。
渡会は菜々実にエズラのことを聞く。
エズラは菜々実と結婚していたのに叔母の静音と駆け落ちした後静音の死後行方不明となったのだ。
「行方不明って探されたんですか?そんなにバッサリ切り捨てられるものですか」
菜々実はここで「茶菜を犯罪者の娘にしないために探しませんでした」と答えたのだ。
エズラ博士は静音の「卵」を使って遺伝子に手を加えた死なない子供を作っていたのです」
これまでの萩尾SF特に『4/4カトルカース』で描かれたかわいそうなトリルの物語、あるいは『マージナル』のイワン博士を思い起こさせる。
こうして静音はエズラ博士の人体実験に使われたのだが彼女の死後、十条家はこれらの実験記録をすべて破棄することに決定しそのために何億もの金を使ったのだ。
そしてエズラ自身も孤児だった。
ストラディ家は病死した息子の代わりに6歳だったその子にエズラという名前をつけたのだという。
カーラーはアゾーレ博士が仕組んでいた第3バージョンを遂行しようとしていた。
ところがそこには若い男が立っており、博士の寝床はもぬけの殻だった。
そして男は扉を開けて出て行った。
「待って」
『ポーの一族』的に描くのならもちろんエズラ=ヨハネ視点で物語が進むのだろう。
常に「異人」側から描いてきた萩尾望都が「常人」の視点で描いたのが本作なのだ。
渡会は夢見=他人の夢の中に入ることができるという特殊能力の持ち主だが人格としてはまったく平凡な男なのだ。
常人の視点で見る、というのは普通の人なら当たりまえだが萩尾望都は異人の物語を描いてきた作家だ。
その作家が常人として見たら、という実験作なのだ。
おもしろい。