「月刊アフタヌーン」2010年3月号~4月号
ゲバラと白湯はいわば探偵役のような感じになり表紙に描かれている兄妹ハルカと彼方の物語になります。
ネタバレします。
本作はもう前作の『菱川さんと猫』を上回る不思議話だ。
白湯は小学校で同級だった彼方と偶然再会する。
ほっそりした彼方は美少年を思わせる。
白湯はそのまま彼方の家を訪問する。
そこには驚くほどたくさんの水槽が置かれ様々な海水魚、淡水魚、古代魚などが飼われていた。
それは彼方の兄であるハルカが世話しているものだった。
仲が良すぎるほどの兄妹の話だがだからと言ってふたりがそこに性愛を求めるものでもない。
萩尾氏は「エドガーとメリーベル」という兄妹愛が有名なのだが作品としてそれほど他には兄妹を描いているわけでもない。
前にも書いたがこの作品も田中アコ氏原作なのかいまいちわからないとはいえ異形種であり兄妹の深いつながりを描いた作品として『ポーの一族』以来なのかもしれない。
(エドガーも性愛的ではなくあくまでも妹思いの兄として描かれていた)
しかしクールに生きていたエドガーとは違い本作のハルカは苦しみ続ける異形種だ。
ふたりはどうやら海に住む種族であったらしい。
つまりゲバラとは違う種ではあるが同様に異種でありながら人間として生きる能力を持つということだ。
ただし陸上の生物であるゲバラとは違い海の生物であったハルカは陸地で生きていること自体呼吸が苦しく耐えがたいのだ。
両親を失い泣き続ける妹彼方を見て兄ハルカは守り続けると誓う。(この愛し方がエドガー的だ)
だが、日に日にハルカは陸上で生きることが苦難になっていく。
妹の彼方にも同族の血があるはずだが妹には強く出なかったらしい。
ゲバラの登場でハルカは自分の存在を確信することができた。
そしていっそう海に帰りたいと望みはじめる。
人間社会に馴染めない者は「自分はもしかしたら妖怪の仲間かもしれない」と夢想する。
むしろそのほうが理解できるしほっとする。
萩尾望都は田中アコ氏の「現実と夢の世界の狭間を行き来する感覚」に惹かれたそうである。私も憧れる。
「十日月の夜」2010年10月号
こちらはほとんど白湯も出てこず。
妻の出産に立ち会おうと急ぐサラリーマンがゲバラ氏の「化けの世界」に迷い込んでしまう物語である。
我が子が生まれることを楽しみだと思いながらもどこかで「おっかない」と感じてしまう、その迷いがゲバラ氏の世界へ誘ったのかもしれない。
それは子供時代母に叱られ子猫を捨ててしまった記憶からくる恐れも一因だった。
サラリーマンシューイチが妻の元へ急ごうとして行けないという構図を描いた一場面がある。
これを初めて見た時はあっとなったし知っててもまじまじと見てしまう。
どうしてもたどり着けないシューイチの心理を一コマで表現してしまったのだ。
たとえこの構図を思いついたもしくはどこかでヒントを得たとしてもゲバラ氏の「化けの世界」の物語があってこそこの構図が生きてくる。
シューイチ氏はかわいい痩せ猫ベロニカを捨てついてくるのに石を投げたのだ。
それが最も辛い記憶としてシューイチ氏の心の奥にあった。
その罰としてゲバラ氏とその友人猫はシューイチを猫に変えようとする。
ハッと目覚めるとシューイチ氏は人間のままで急いで妻の元に駆ける。
我が子は産まれていた。
小さなその赤ん坊を抱いてシューイチはさめざめと泣く。
また泣いてしまう。
こう毎回泣かせられてはかなわん。
泣くのが目的ではないのだ。
しかしこの話で泣けることに感謝する。