ガエル記

散策

『AWAYーアウェイー』萩尾望都 原案:小松左京『お召し』 その1

「フラワーズ」2013年6月号~2015年8月号

本作『AWAY』多くの方が評しているように「おもしろいんだけどあまりにも短い」

そしてなにか構成が破綻しているようにも思えます。

いつもやっているようにストーリーを追っていくべきかとも思いましたが、今回はストーリーよりも思ったことを書き記していきます。

 

 

 

ネタバレします。

 

 

ある日突然世界が18歳以上とそれ未満の二つに分かれてしまう。

それが「HOME」と「AWAY」

18歳以上の大人世界が「HOME」

未満世界が「AWAY」

「HOME」で赤ん坊が産み落とされたらその子は「AWAY」世界へ飛ばされてしまう。

「AWAY」である子が18歳となったら「HOME」世界へ飛ばされてしまう。

なぜこんなことになってしまったのか。

 

いきなり本作を読んだ人は別だがずっと萩尾作品を読んできた者にとっては特殊な作品だ。

萩尾望都は還暦を越えても自分自身で革新的な挑戦をしている。

全然なかった、とは言わないが萩尾作品にして「日本が舞台。超未来ではなく作品発表時からほんの20年後という近未来。なのであまり変化はないがそこここで少しずつ変化発展がある。宇宙だとか妖怪だとか幽霊だとかは本作では描かれず〝世界が二つに分かれてしまった”という事件以外は極めてリアルに描かれていく」SFなのである。

なので主人公も〝加賀一紀”という可愛い普通の女の子である。

日本が舞台のSFで主人公が可愛い普通の女の子というのは他の作家ではありふれたことだがこれまで宇宙の果て、もしくは火星、異世界、超能力、男性しかいない地球、夢の中、といった「まったく違う世界」を主に描いていた作家としてはむしろ「果敢な挑戦」と感じてしまう。

しかし短く終わってしまったのはやはり「普通の世界」に慣れていなかったから、なのだろうか。

 

とはいえ「18歳を境に世界がふたつに分かれてしまう」というだけでとんでもないことではあるからそんな事柄を受け入れきれない人間には読みこなせない作品かもしれない。

 

さて物語の冒頭ではすでに世界が二つに分かれしばらく経っている、ようだ。

「AWAY]18歳未満の子供しかいない世界で少年と少女がとまどいながら生きている。

そんな中でなぜか初老の男性がひとりだけ登場する。

八神という名のタクシー運転士で世界が分かれた時仕事が遅くなって疲れて帰宅し妻は先に寝ていると思い込んで就寝したのだった。

事態に気づきこの世界に(今のところ)大人は自分だけと知らされ理解がついていかず泣き出してしまう。

そして一紀の恋人、大熊大介はすぐに18歳の誕生日を迎えあっちの世界「HOME」へと飛んで行ってしまうのだ。

 

ここでちょっと寄り道。本作は原案とされている小松左京『お召し』のある日を境に突然別の世界に行ってしまうというアイディアを取り入れて創作されている。

「ある日」が『お召し』では「12歳」本作では「18歳」という違いがある。

萩尾氏はこれを「その分できることも変わってくる」としているが、もしかしたらこれは昔の子供のほうが「しっかりしていた」ということなのかもしれない。今の18歳は昔の12歳くらいなのかもしれない。

ちなみに小松左京氏はこれを「養魚池」の魚たちが一定の大きさになると別の池に移される、ことから発想したと作品冒頭に書いている。なるほど。

そして小松氏「お召し」はその発想に従って「なぜなのかはわからないがとにかくそういうもの」としてまとめているのを萩尾作品はその理由があるとして展開していく。

それはまた後で書こう。

 

さてまた『お召し』とは違い本作ではもう一つの世界「HOME」も描かれる。

というかep1の最後で「HOME」に戻った大介の様子がそのままep2でまるまる描かれていく。

単行本になってから読めばそれほどでもないがいきなり2話目で主人公が退出してしまう構成になるのはどうだったんだろうと思ったりもする。

 

しかしこの大介の話が興味深い。

つまり「HOME」ではいきなり「18歳未満の子どもたちが消えてしまう」&「生まれた赤ん坊も消えてしまう」というパニックに襲われていたのだ。

このパニックは子供たちだけの「AWAY」より大きかったはずだ。なにせ18歳以上の人口が多すぎる。そして自分たちの子供が消えてしまった、産んだ赤ん坊も消えてしまう、という絶望はどんなものなのか。

あるいは本作では「HOME」を主体にすべきだったのかもしれない。

が、同時に突然18歳になった子供が戻ってくる、という事態も起きる。

おもしろい、いや恐ろしいのは本作で子供たちが戻ってくることがそのまま「よかったね」では済まされず「帰還者」と呼ばれる18歳の彼らが突然の事態に耐えきれず自殺するなどの事態となる。

あるいは自分の子供は消えたままなのに帰ってきた子供の家が咎められ放火されたりする、というのだ。

 

この話、読んだ当時(2013年。私は単行本発行後少し経ってから)は「そんなことあるかな?」と思ったのではないだろうか。

しかし新型コロナウィルス感染が発生した当時のことを思い出すと様々な恐ろしい事件が起きた。

感染した家が特定され責め立てられたのはまだ記憶しているだろう。

萩尾望都はコロナウィルス騒動の7年前にこのSFを描いた。本作は感染症問題ではないが人々が「突然の出来事」に対してどんなふうに混乱していくかを描き出していると思う。

 

そして仏子沼議員登場。

「子どもたちが別の世界に移動した、なんていうのはデマでどっかの島に連れていかれ薬飲まされて洗脳された後帰ってきたのだ」と言い張る。

いわゆる「陰謀論者」なのだ。

もちろん「18歳未満の子どもたちが突然いなくなる」なんて理解できるわけもなくこう考えてしまうのだ。

よくできたSFというのはこうした事態を想像できることだと言える。