1978年7月「ジャンプスーパーコミックス集英社」
すみません。どうしても先にこのシリーズを読みたくなり先日書いたwikiの順番を無視して急遽稗田礼二郎シリーズに突入します。
『夢みる機械』も半ばだったのに心変わり失礼します。
ネタバレします。
第1話「黒い探求者」「週刊少年ジャンプ」1974年37号
稗田礼二郎初登場。九州F県(というのは福岡県しか考えられないが)比留子古墳に赴く。「比留子古墳」というのは創作だろうが『暗黒神話』にも福岡県某所にあるとして登場する。
郷土史家の父を持つ矢部まさお少年は稗田礼二郎に手紙を送ったらしい。
それに答えて稗田はF県を訪れたのだ。
まさおの父親は一か月前の深夜ひとりで古墳の石室に入り翌朝首無し死体で見つかったというのだ。
しかし話をした直後、まさおの父は突如家の庭に現れる。
不安げな顔が暗がりに見えたのだがそれもすぐに消えてしまった。
まさおの祖母は「ヒルコさまのたたりじゃ」と倒れてしまう。
ヒルコというのは「古事記」に登場する「水蛭子」にちがいない、とまさおの父も稗田も考える。
そして稗田とまさおは同じように真夜中古墳の石室に入る。
稗田が呪文を唱えると石室の石に穴が開いた。
ふたりはさらにその中に入っていく。
不思議なことに十数メートルしかおりていないのにそこには大空洞が存在していた。
「黄泉の国じゃないですか」とまさおは尋ねる。
奇声が聞こえそれは異形の者たちが発していた。
「まさお」と呼ぶ声がした。父親の顔が心配げに覗いている。
父は彼らの説明をした。自分が好奇心にかられここに入ったものの彼らにつかまり入り口が閉じる時に空間のゆがみに巻き込まれ彼らと絡み合ってしまったのだ。
そう言って現れた父親の顔を支えるその身体はばけものたちと同じような異形のそれだった。
まさおの父は逃げろと言いばけものたちを抑え込んでふたりを助けた。
稗田は父を呼ぶまさおを抱えるようにして逃げ言われた通りに扉の文様を消した。
稗田はまさおに別れを告げる。
稗田礼二郎、もとK第考古学教授。日本考古学会追放。みずから異端の道を歩き続ける。
人は妖怪ハンターと呼ぶ。
第二話「赤いくちびる」1974年38号「週刊少年ジャンプ」
中学三年B組の月島令子は勉強はできるがおとなしい女子であった。
不良女子グループに目をつけられ小さなお堂に閉じ込められる。
それを境に彼女は変わってしまうのだ。
翌日から令子は髪にパーマをかけ(昔の言い方!)真っ赤な口紅を塗って登校してきた。
それだけではなく煙草を吸い男子たちを思うように操りだしたのだ。
彼女をいじめていたグループのひとりが顔面を食い破られるという死体で発見される。
別のひとりは首つり自殺をした。
もうひとりは令子を殴らせようとした男に殴られ最後のひとりは自ら走る車に飛び込んだ。
そしてこの物語の語り手である山本も飛び降り自殺をしようとしてかろうじて稗田礼二郎に助けられた。
稗田は「朱唇観世音縁起」(これは諸星氏お得意の創作だろう)という書物を見せ山本に令子が妖怪にとり憑かれてしまったのだと話す。
その妖怪はあのお堂の観音像に封じ込められていた。そして偶然お堂に閉じ込められた令子に乗り移り彼女を操ったのだ。
しかし稗田をしても令子を救うことはもうできなかった。
追い詰められた令子は死にその唇が生きているかのように離れニヤリと笑って消える。
「生命の木」1976年8月号「週刊少年ジャンプ増刊」
いまや諸星大二郎といえばこの作品が出てくるほどの名作である。
が、諸星作品は優れているとともに現在のモラルでは危うい描写が多々ある。が、危い描写をしているからこそ惹かれる読者もまた存在するのだろう。
まずは「かくれキリシタン」という宗教を扱っているのが特に危うい。
しかも有名な長崎ではなく東北に存在する集団なのである。
ここで殺人事件が起きる。
”はなれ”の善次という若い男で神父は異教徒の遺体を教会におくのは断ろうかと思ったのだが、と話す。
語り手が「キリシタンではないのですか?」と聞くと神父は「かくれキリシタンさ。カトリックではない」と答えるのだ。
”はなれ”の人々は村の人々からひどく嫌われている。
その理由として「ほとんどが白痴同然だったから交流がないのだ」とされる。
(手持ちの本ではそう書かれているが後の本では変更されているのかもしれない)
そして語り手は神父に伴われ”はなれ”を訪れる。
ところがそこには重太という老人が座り込んでいるだけで誰もいない。
神父が「みんなはどこへいったんだ?」と問うと重太は
「いんへるのいっただ。それからぱらいそいくだ。わしだけいけね」と答える。
なぜ諸星氏は”はなれ”の人々を白痴として描いたのか。
何故本作を読む者は「ぱらいそさいくだ」という言葉に強く惹かれてしまうのか。
それは単なる思い込みなのかもしれないが彼らこそ異界への道を知っていると感じているからではないか。
異形の者、「普通」でない者こそが異世界に近づく能力があるのだと諸星氏は描き続けているように思える。
私たち読者はそんな異世界を畏れながら憧れてもいる。
異能力を怖がりながらも望んでもいる。
本作は諸星氏の数ある作品でももっともぎりぎりまで深淵を覗き込んでしまったのかもしれない。
描いてはいけない作品であり読んではいけない作品なのだ。
だからこそこの作品は最も恐ろしく惹きつけられる。
萩尾望都の『半神』を思うと判らないだろうか。
この作品のタイトルが『生命の木』なのも考えなくてはならない。