1988年7月「ジャンプスーパーエース」
稗田礼二郎のフィールド・ノートより(あるいは妖怪ハンターと呼ばれた男の手記)
うん、かっこいい
諸星氏は『妖怪ハンター』というタイトルが嫌いだったようで本当はこのタイトルにしたかったのでしょうか。私はどちらも好きですが。
ネタバレします。
「海竜祭の夜」1982年9号「週刊ヤングジャンプ」
萩尾望都が怖くてたまらなかったという作品である。
だからというわけではないが本作もやはり名作だと思う。
まあだからこそ単行本のタイトルに選ばれているのだけど。
諸星氏は礼二郎をハンターではなく傍観者として位置づけしている。
そのために「妖怪ハンター」というタイトルを嫌っていてあくまでも「フィールドノート」としたかったのだろう。
本作はまさしくその良い例で稗田礼二郎はその場所、海竜祭が行われる加美島(たぶん創作)を訪れ恐ろしい事態を目の当たりにし島民のほとんどを死なせてしまう。
礼次郎は途中でこの祭りが安徳天皇の鎮魂祭だと気づく。倒れた鳥居に驚愕した島民が慌てふためくが礼次郎は何をするでもなく自分の講義を取っていた学生すら助けられていない(ようだ)
それほど「あんとく様」は恐ろしい存在であった、ということだろう。
「平家物語」で栄華を極めついには一族から天皇まで生むこととなった平清盛の傲慢が幼い童を海の底へ送ってしまうこととなる。その悲劇からの呪いである。
ただし私は源氏よりはるかに平家びいきである。
それゆえにいっそう安徳様がおいたわしい。
島民を死に追いやった海竜祭のこの凶事が「地震による津波」と報道された。生き残った島民も皆本土の親類をたよって出てゆき無人島となった、という終わりもまた物悲しい。
「ヒトニグサ」1982年39号「週刊ヤングジャンプ」
「ヒトニグサ」で検索したらかなりの人気であった。
これは本作の「ヒトニグサ」が登場人物男性の愛する奥さんのイメージであったからだろうか。
愛するがゆえに殺してしまいヒトニグサとなった妻の足元にすがりつき「もうどこへもいかないよ」という男の憐れに惹きつけられるのであろう。
また最近SNSで「山の中でおーいおーいと呼ぶ声がしても決して行ってはならない」というのを見たのだけどこれも同じような怖さがある。
これも通りかかったのが男性で若い女性の声で呼ばれたのならうっかり行ってしまうのだろうな、という恐怖がある。
女性の場合は子供の声なら行ってしまうかもしれない。
要するに自分が助けてあげたいと思う者を見せられ聞かされたら人間は行ってしまうわけだ。
怖い。
「黒い探求者」1974年37号「週刊少年ジャンプ」
「赤い唇」1974年38号「週刊少年ジャンプ」
「生命の木」1976年8月号「週刊少年ジャンプ」
前の記事『妖怪ハンター』に記載済み
「幻の木」1987年vol.6「ヤングジャンプグレート 青春号」
すばらしすぎてなにも言えない。
お伽噺『瓜子姫と天邪鬼』から創作された作品である。
wikiで見ると東日本では瓜子姫が殺されただけでなく天邪鬼によって皮膚をはがされ天邪鬼は瓜子姫になりすまし老夫婦にその肉を食わせるのだが西日本では瓜子姫は殺されず後に助けられる。
私は普通に本で読んだ記憶なのでこちらのほうであった。
諸星大二郎はやはり天邪鬼が瓜子姫を殺す、というバージョンを取るが本作では警察の介入で天邪鬼は殺され瓜子姫は命拾いをする。
問題はこの後で礼二郎は「生命の木」信仰が日本にもあったと考える。と同時に瓜子姫役にあたる瓜生一族が木を祭ってきたが天野という男はいったいなんだったのか、と考える。
天邪鬼は瓜子姫になりすますのだ。
作品中、天野は瓜生織江への思いは初恋とかそんなものじゃないもっと深い何かで結ばれていたと感じるのだが「もっと深い何か」とはなんなのだろう。
天野(天邪鬼)は撃ち殺されてしまうのだが礼二郎は「あるいは瓜子姫に乗り移ったと言われる」という説話を思い出す。
織江のその後の描写はないだけに気にかかる。
「花咲爺論序説」1985年39号「週刊ヤングジャンプ」
旅客機墜落による生存者と花咲爺の説話を絡ませた作品なのだがさっぱり何なのかわからない・・・。
というか稗田礼二郎氏自身が「まだ謎だらけである。それらの解明は今後の研究にまちたい」と記しているのでそういうことでいいのか。
なんにせよ「花咲爺」は「焼畑農耕」の伝承であること、動物を殺すことでその生命力が植物に転化し豊穣をもたらすこと、巨大なストーンサークルの存在、などが重要なポイントであると記憶したい。
『闇の中の仮面の顔」1978年「単行本妖怪ハンター書下ろし」
「肉色の誕生」1974年3月21日号「週刊漫画アクション」
「稗田礼二郎シリーズ」ではないのだがこの単行本では彼が受け取った手紙をもとにした物語、という体で収録されている。
「新しい生命の誕生」にとり憑かれた男・神永をその友人を語り手にして描かれていく。
途中「六郎」という名の小男が神永に命じられて踊る場面があり、それが哀れで悲しいのが記憶に残って困った。諸星マンガはそういう印象付けが恐ろしい。
神永は「地上の女なんかには興味がない。人間より美しい人間以上のものを作る」と言って自分の血を与え死ぬ。六郎も共に死んでしまった。
恐ろしいのに美しい作品だと思ってしまう。