ガエル記

散策

『稗田のモノ語り 魔障ヶ岳』〈妖怪ハンター〉諸星大二郎 その3 


ネタバレします。

 

三章「苧環の男」2004年9月号「メフィスト

「魔障ヶ岳」で”モノ”を見た四人のひとり岩淵翔子の場合は「神上嵩」であった。

苧環伝説そしてさらに箸墓伝説を重ねるように翔子は神上と自分の関係をそられに模してしまう。

 

神はその正体を知られた時に姿を消し、女は自殺してしまう、稗田礼二郎はそれを危惧して翔子の後を追う。

果たして神上嵩は消えてしまった。

翔子はそんなはずはない。彼の赤ちゃんがいるのだからと腹部を抑え、そして去っていく。

 

 四章「名を付けなかった男」2005年1月号「メフィスト

そして「魔障ヶ岳」の”モノ”に名を付けなかったのが稗田礼二郎である。

他の三人はそれぞれ”モノ”に名を付け”モノ”はそれに応じて形を変え名を付けた人物に影響していった。

その結果はふたりの男は死にひとりの女は失踪して不明である。

では稗田礼二郎によって名を付けられなかった”モノ”は何物にもならぬまま稗田の後をついていったのであった。

 

終章「再び魔障ヶ岳へ」2005年5月号「メフィスト

こうして稗田礼二郎は自分に名付けられないままついてきた”モノ”を魔障ヶ岳に帰しに行くのだが、ここにもついてきたのが女体の黒田であった。

赤井助教授が名付けた”魔”は黒田と言う形になっていたのだが男でも女でもある、というのはどういう意味なのだろう。

しかし「心の中で何も考えない」というのはできるんだろうか。

考えないつもりでいてついつい「ドーナツ」なんて考えてしまったらドーナツの化け物に追いかけられるということなのか。

いやいや稗田氏のことだから埴輪とか考えてしまったら?

どんなことになるのかよくわからない。

とにかく稗田礼二郎は何も考えず何の名前をつけないまま”モノ”を元の形のまま魔障ヶ岳に連れて行こうとして女体黒田に「名前をつけて」と迫られる。

「単なる言葉だけのことではないのよ。あなたが心の底で何と思っているか」と言う黒田の言葉に稗田氏も冷や汗をかいている。何を畏れているんだろう。

しかしこの状況を救ったのがあの岩田狂天とその一味だった。

狂天は稗田の護衛を申し出るが稗田は嫌がり一人での旅を強行する。

が、姥ヶ峠の籠り堂であの時の山伏に出会い招き入れられる。

山伏の修験道の秘儀をお見せすると言われ座った稗田に襲いかかったのは山伏たちの奇妙な祈祷だった。

山伏は黒田の変化だったのだ。

南蛮燻しを仕掛けられ苦しむ稗田を救ったのはまたしても岩田狂天だった。

 

やむなく稗田は狂天とその一味をつれて山を行く。

登りながら稗田は「かつて鬼も神もモノと呼ばれていたのだ」と話す。

そもそも言葉が生まれて初めて世界は世界としての姿を持ち始めたのだ、と。

 

が、稗田がハッと気づくと前方の鳥居に人影がある。

狂天の信者だった。

見ると大勢の信者たちが続々と崖を登ってくるのだ。

驚いた稗田は先を急ぐ。

その時胸に入れていた携帯電話が鳴りだした。狂天とその一味のものも。

圏外のはずだが発信は”モノ”からだった。

黒田が”モノ”に携帯電話を与えていたのだ。

あちこちにいる信者たちからそれぞれの着信音が響く。

狂天が信者たちに言い放つ。

「魔障ヶ岳のモノに名前をつけろ。そして持ち帰れ」

稗田についてきたモノがむくむくと形を変えていく。

それはアイドルタレントやアニメ美少女の形であった。

狂天は「生涯ただ一度の霊的な邂逅に対してこれか」と失望してしまう。

稗田もまたメッセージを送っていたが電話もしておこうと言って「祟り神をうつしやる祝詞」を唱えだす。

その時、あの和服姿の女性が現れたのだ。

「なぜそんな祝詞を送るのです?あれは祟り神などではないのに」

稗田は答える。「今はそうだろうが・・・あれではいつ祟り神になってもおかしくない。もっと人の来ない清浄な山奥にでもうつした方が」

そして稗田は今の日本では人間にとってもモノにとってもこんなことは何にもならない。私はあれを返しにきたのだ、と告げた。

女性は「ほんとうはあなたのような人に名を付けてほしかった。どこかほかにあれが静かに人と出会える場所を探しましょう」と言い姿を消した。

それと同時に稗田についてきたモノも音を立てて崩れ落ちていった。

 

稗田の携帯に黒田からの通話がくる。「いずれまた会いましょう」

 

神・・・魔・・・人・・・

どんな名を与えようと人間の社会にそれを受け入れる素地がなければモノは生き延びられない。

神は山に帰り、人は悩んで滅び、魔だけが残った。

 

様々なことを考えさせる物語だ。

いわゆる「その力を手に入れれば神にも悪魔にもなれる」マジンガーZ方式だ。

”モノ”は力を持つだけでその利用法は利用者にゆだねられる。

が、欲望だけで利用した者たちは皆滅びた。

謎の女性は稗田礼二郎ならその力をうまく使ってくれるはずと願っていたが稗田は「まだその時期ではない」と返してしまったのだ。

 

さてその力とはなんなのか。例えば原子力エネルギーを思えば確かに人間にはそれを完全に操る力はないようだ。

他の様々な「力」を思っても人間がそれをうまく活用するのは難しい。

 

ではその力を与えられたならいったいどのような名前をつけどのように活用していけばよかったのか。

絶対的な平和幸福というものはありうるものなのだろうか。

それはちょっとした心の作用で悪魔にもなってしまうものなのか。

稗田氏をもってしても返すしかなかったのだということを考えていかねばならない。