ガエル記

散策

『太公望伝』諸星大二郎

1987年11月号~1988年3月号「月刊コミックトム

 

私は『無面目・太公望伝』という本を持っているのですがこちらの画像を使わせていただきました。

 

ネタバレします。

 

太公望=釣りをする人、という意味で最初に知ることも今ではかなり少なくなってきたのではないか。

昔はTVニュースで釣り人が映ると必ずこの表現をしていたのでイヤでも覚えてしまっていた。

後はもちろん藤崎竜封神演義』の太公望で知った勢は多いだろう。

私も大好きである。

発表年は本作の方が断然早いが読んだ、もしくはちゃんと読んだのはどちらが先かよく覚えていない。

何故なら私は『無面目』の方が好きで何度も読み返したが本作はそこまで読み込んでいなかった気がするからだ。

 

そして今、横山光輝殷周伝説』の太公望の強い印象が再び本作を読ませることになった。

横山版を読んで諸星版太公望の面白さが理解できたのではないだろうか。

 

さて、藤崎太公望、横山太公望とはまったく違う諸星太公望である。

前の二つが華やかに活躍する太公望なら諸星太公望は活躍する前の若い頃、と言ってもその人生の多くは地味だ。

どころか、冒頭、若き太公望は生贄にされる百人のひとりとして登場する。

太公望羌族と呼ばれる遊牧民に属していた。その羌族はしばしば殷に捕らえられ奴隷や生贄として使われていたのだ。

いきなり生贄のひとりとして殺される運命だった太公望は数え間違いで百一人目だったことから死を免れ奴隷として生き延びることとなる。

今度は奴隷としての使役労働から逃れるため仲良くなったチョンやほかの者たちと脱走するがあっさり捕まり王の遊びのために再び殺されそうになる。

が、王の遊びの度が過ぎ天に向かって矢を射た為に雷が落ちて死亡し騒ぎになる。

この騒ぎに紛れ太公望とチョンは逃げ出すのだった。

 

むろんここまでは「太公望」という有難い名前ではなくシァンという名にすぎない。

シァンはチョンともはぐれ一人きりで何日も食べ物にありつけず逃げのびる。

あまりの空腹の中、出会った男たちに勧められるままに釣りをするシァンであったが悪戯でその釣り針は鉤もなくエサもついていなかった。

が、何も知らずただただ釣り糸を垂らして待つシァンに声をかけた不思議な老人がいた。

その者は山の神でも川の神でも天の神でもないという。

ただ純粋に魚を求め生きたいというシァンの気持ちに応じて現れたのだという。

一点の濁りもない純粋な心でわしを求めるならわしは時には天をも動かす、というのである。

老人の励ましに答えシァンは釣り竿を握りしめた。

シァンはついに竜を釣り上げる。

それは悪戯をした男たちの目には大きな鯉となって見えたのである。

 

とはいえそれからシァンがいきなり太公望になるわけではない。

シァンは奴隷にならないよう周の生まれの呂尚と名乗り猟で獲った毛皮を売って暮らしているようだ。

市場に向かう時「シァン」と呼ぶ声がした。

チョンであった。

ふたりは生き延び再会したことを喜び合う。

チョンは今では裕福な塩の商人となっていて宋異人と名乗っていた。

宋異人は親切に呂尚に土地と家畜を分け馬家の娘を嫁にしてやった。

ところが呂尚は長い間の放浪生活がすっかり身体に馴染んでしまったのか、畑作りは苦手で落ち着かない。

八百年生きているという怪しげな占い師の家に入りびたり弟子となったのだ。

その占い師は易という卜占法を用い、ごしゃごしゃと筮竹をまぜぶちまけた。

占い師は後二百年生きると出たが直後死んでしまったのだ。

呂尚はがっくりとなる。

そして嫁の馬氏に罵られるままに朝歌へ羊を売りに行ったのだ。

 

呂尚は朝歌を怖れていた。

かつて生贄として殺される寸前となった場所である。

今もまた羌人たちが繋がれ歩いている姿を見る。

呂尚は怯えながらその様子を見ているうちに祭儀用の羊を持ってきたと間違われ更には裸にされて紂王と妲己が眺めて遊ぶ「酒池肉林」の場に入れられてしまう。

 

売り物の羊を全部失い手ぶらで戻ってきた呂尚を妻は罵り実家へ帰ってしまう。

呂尚は宋異人に「再び旅に出る」と告げる。

 

呂尚は十五年の時を経て世界の果て、東海へ到達した。

その間に彼は易について考え孤竹国を訪れ伯夷叔斉と会いそこで羌人の女をもらい世話をさせる。

阿羌と呼んだその女は良い人柄だった。

呂尚はここで武将・子良に仕えるが呂尚の頭脳はかえって叔斉の不安を呼ぶ。

子良が亡くなったのを機に呂尚は立ち去る。

呂尚は次に姜子牙と名乗り旅を続けた。

次は斉王に仕えるが姜子牙はこの王にも見切りをつけ家に戻る。

ところが阿羌はひとりで岬に出かけそこから落ちて死んでしまったのだ。

死ぬ前に阿羌は「だんなさまの心が知りたくて」と言い残す。

そして姜子牙は「わたしも羌人なのだ」と打ち明けた。

 

姜子牙は嘆き叫ぶ。

「わしは馬鹿だ。人の心もわからずに世界をわかったつもりでいたのか」

彼は再び旅立った。

 

数年後、呂尚渭水のほとり周原へ帰ってきた。

四十年の放浪の後だった。

 

呂尚はかつて自分に悪戯をした男と再会し同じように鉤をまっすぐにし餌を付けずに釣りをしてみる。

かつて現れた謎の老人は自分自身だったと彼は気づくのだ。

ここで呂尚に近づき訊ねた人がいる。西伯である。「釣れますかな、ご老人」

呂尚の答えは「釣れましたとも。わし自身が」であった。

呂尚はここで周の西伯、後の文王と出会い「太公の望んでいた人だ」と言われ太公望となる。

時に太公望は七十歳。

人生の晩年になってはじめて華々しく歴史の舞台に登場したのである。