書肆侃侃房 (2024/12/27)
単行本で7480円、kindleで7370円。とても手が出ず図書館で借りました。
第36章にプロローグ・エピローグ・あとがき付きの分厚い本です。期間は二週間。
ええい、一日3章ずつ読めばいいのではないかと適当な計算をして読み進めて行こうと思います。
初日の今夜はまずプロローグです。
ネタバレします。
表紙と冒頭の写真も少しずつ紹介してみましょうか。
まずは表紙。
昨今の紹介写真では晩年のちょっと強面なハイスミスになってしまいますが、これは何歳くらいでしょうか。かなりの美人ではないでしょうか。
昨日観た映画『キャロル』の若い娘テレーズに憧れられる美貌の人妻キャロルのほうに似ている気がします。
実際パトリシアはおっかなびっくりのテレーズというより堂々としたキャロルだったのではと想像しています。
さあ、内容を読んでいけばわかるかもしれません。
プロローグ
「人は多種多様な影を持っており、それらの影すべては本人に似ているのだが、時として本人自身と同等の権利を主張する」キルケゴール『反復』1949年ハイスミスはノートに引用。
1950年6月30日、29歳のハイスミスは「金髪で既婚、自分とはおよそ対照的な女性」をモデルに恋愛小説を書くつもりでいた。
その一年半前12月彼女はブルーミング百貨店のおもちゃ売り場で臨時雇いとして働いていた。
これは映画『キャロル』のまさにテレーズそのものだ。
おもちゃ売り場で子供から水疱瘡を感染し彼女は寝込んでしまうが同時に小説の種を植え付けられ熱は創造力を飛翔させた、らしい。
1952年に別名義で発表した『ザ・プライス・オブ・ソルト』がそれであり1990年に『キャロル』と改題されハイスミス名義で再刊される。
映画とは違い現実でのハイスミスは彼女の家をつきとめ何故か殺意を抱く。
「殺人というのはある種のセックスであり、一種の所有にも似ている」
そして実際のハイスミスは映画のテレーズのような引っ込み思案ではなくドキュメンタリーでも証言されていたように多数の肉体関係を持ったようだ。
そしてそれに反して同性愛については語りたがらなかったと書かれている上に肉感的な人ではなかった、とも書かれている。
「彼女と抱き合うとまるで板を抱いているような感じだった」と。
「セックスのあいてはたくさんいたが本当に親密な愛情を感じていた相手はそんなにいなかったと思う」とも。
彼女は誠実で率直でしかし狂ったようにわめき散らし嫌悪をむき出しにするところもあった、と。
そういった複雑さもハイスミスの作品を思わせる。
彼女の誕生日は1月19日で、これはエドガー・アラン・ポーと同じだという。
またフランシス・ベーコンの絵を愛したという。
これもイメージにぴったりではないか。
時間が来てしまった。
明日の朝、付け足しで書くかもしれないし、第1章に進むかもしれない。
とにかくこの二週間、ハイスミスをじっくり読んでいこう。