ガエル記

散策

『パトリシア・ハイスミスの華麗なる人生』アンドリュー・ウィルソン/訳:柿沼瑛子 その2

ネタバレします。

 

第1章「彷徨い続ける者」1921 以前

ハイスミスは「わたしは何者であり、なぜ存在するのでしょうか?」と問い続けた作家であり世界中を旅したくさんの人々と出会いながら孤独であり「わたしは永遠に探し続ける者だ」と記していたという。

 

13歳のハイスミス南部連合軍のものである南北戦争時代の刀剣一対を13ドルで買った。

後年居を移すたびにこの由緒ある武器一式を部屋の一番人目につく場所に飾ったのである。

うわべこそヨーロッパ人のようだったが彼女の本質はまぎれもないテキサス人そのものだった、と語られる。

伝統的な南部料理トウモロコシのパン、スペアリブなどを好み晩年もっとも落ち着く衣服はリーバイスジーンズとスニーカー、スカーフだったのだ。

 

内部に同性愛の要素を秘めトム・リプリーという性指向も定まらない不埒な詐欺師を創作した自由人のようでいて彼女自身は非常に保守的だったといわれる。

だからこそ自分自身を問い続けなければならなかったのかもしれない。

リベラルであるならばさらけ出してしまえるからだ。

 

1904年ハイスミスの母方の祖父ダニエルとウィリー・メイのコーツ夫妻はアラバマからテキサスにやってきた。どちらも堅実で比較的地位の高い家の出身だった。

ダニエルは大農園主ギデオン・コーツの息子でウィリー・メイは軍医オスカー・ウィルキンソン・スチュアートの娘だった。ハイスミスは曽祖父ふたりについてアメリカ人の開拓者魂を象徴する人物としてとりわけ誇りにしていた。

彼女は自分が良い家の出身だということに固執していた。

それが『リプリー』でのトムの上昇志向に現れている。

 

またハイスミスは容姿にも非常なこだわりを持っていた。

自分自身が濃い色の髪や目そして浅黒い肌であることに黒人の祖先がいるのではないかと自分の出自を調べたのである。

 

ダニエルとウィリー・メイの間に生まれたメアリーは印象的な顔立ちで「グレタ・ガルボにそっくり」だった。

このメアリーがパトリシア・ハイスミスの母親である。

そして父親は「猿を思わせる顔つき」のドイツ系ジェイ・バーナード・プラングマンでありパットが黒髪なのはこの父親の遺伝子を受け継いでいるようだ。

だがふたりはパトリシアが生まれる前に離婚しておりその時母メアリーはテレピン油を飲んで中絶しようとしたと後に娘に語る。

父親も中絶を望んでいた。

 

そしてパットが3歳の時1924年、母メアリーはスタンリー・ハイスミスという4歳年下の男と再婚する。

 

 

第2章「暗い星のもとに」1921-1927

筆者アンドリュー・ウィルソンは「伝記作家はその対象者の生い立ちを調べ上げそこに人格の根源があると書き立てるものだ」と非難めいて書きながらも「それでもやはりハイスミスの幼児時代に彼女の人格が形成されたことは感じられる」と続ける。

だが事はそう単純ではなさそうだ。

ハイスミスの小説で描かれる女性は男性の付属品でしかない、と彼女自身が認めているのにハイスミスの幼児時代の家族は圧倒的に女性が強く男性は弱い存在でしかなかった。

なのに社会に出てからのハイスミスの目には「女性はめそめそ泣きごとを言っている存在にしか思えなかった」と映るのだ。

彼女自身が「強そうに見える」がこの矛盾はどうとらえるべきなのか。

ここにやはり南部出身者の保守的な思考が根付いているのだというのだろうか。

 

一方、パトリシアは幼い時、八歳になるかならないかの時期から義父への強い殺意を持ち続けていた。

愛する母を奪った義父への憎しみの抑圧によってパットは「性に適応できなくなった」と考えていたようだ。

「わたしはとても幼い頃から激しい、人を殺すほどの憎しみと一緒に生きることを覚えた。そしてより肯定的な感情を抑え込むことも」

陰鬱な空想はやがて彼女のゴシック小説的なイマジネーションを育む。

「これらすべてがわたしに殺人と暴力の血まみれの物語を書かせる要因となった」

 

第3章「ばらばらな家族」1927ー1933

パトリシアは6歳の時、母そして継父と共にニューヨークへと引っ越しする。

幼い彼女にこの大都会での体験はどのようなものだったのか。

両親はともに商業美術界でキャリアを築きたいと望み母メアリーは移り住んですぐイラストレーターとしてフリーランスで働き始めた。

ハイスミス家は西百三丁目通りとブロードウェイに面したアパートに住みパットは近所の小学校に通う。

ここで彼女は黒人の同級生と仲良くなる。

リベラルな母メアリーは何も思わなかったが祖母の耳に入ると祖母は震え上がり孫娘を私立小学校に転校させた。

 

1929年、一家はテキサスに戻り8歳のパットは再び転校する。

通信簿はどの教科も常に良い点だった。

彼女はアメリカインディアンに憧れシャーロック・ホームズに夢中になった。(私もそうだった)

そしてこの頃彼女は自分が書いた作文が他の子供を惹きつける力を持っていると実感する。

ヴァージニア州のエンドレス・キャバーンズ大洞窟に行ったという作文を読み上げるとクラスメイトがこれに聞き入っていたのだ。

引っ込み思案で内気な彼女が初めて体験した「人を楽しませる喜び」だった。

 

1930年1月、ハイスミス家は再びニューヨークに移り住む。

この頃ニューヨークでは大規模な超高層ビルが建設中であった。

学校では常に好成績で他の子が読まないような「精神的異常」に関する本、カール・メニンガー博士『人間の心』に夢中になる。

 

そして1933年の夏、夫婦げんかが絶えない「地獄のような状態」の家から離れガールスカウトのキャンプに参加し女の子だけの生活をおおいに楽しんだ。

が、家に戻ると両親の離婚が決まり母メアリーはパットを連れて祖母ウィリー・メイの住むテキサスへと旅立つ。

だが母メアリーが娘パットと過ごしたのはわずかだった。

数週間後には継父スタンリーがメアリーをニューヨークへ連れ戻してしまうのだ。

パットは喪失感にとらわれ裏切りと感じて苦しむ。

 

しかも華やかなニューヨークで過ごした彼女にとって、テキサスに戻った12歳から13歳にかけてのひどい一年間は「自分の人生で最も悲しい時期だった」という記憶となった。