ガエル記

散策

『パトリシア・ハイスミスの華麗なる人生』アンドリュー・ウィルソン/訳:柿沼瑛子 その3

ネタバレします。

 

第4章「抑圧」1933ー1938

1933年。1921年生まれのパットは12歳。祖母のウィリー・メイは孫娘の保護者としてサウスジェニングス・アベニューにある中学校に入学の申請をしている。

 

この時期のパットは友人もできず孤独に苛まれているがよりどころになる23歳のいとこと兄妹のような関係でいたという。

また実の父と初対面するが仲は深まらずパットが欲していたのは母メアリーだった。

12歳という時期に母を失ってしまったことは彼女にとって「母親の裏切り」と感じられ彼女の人間関係に大きく影響していく。

「関係が安定すると相手を拒絶してしまう。何度も同じことが繰り返される。母は継父と離婚すると言って私をテキサスへ連れて行き私を置いて継父と去ってしまった。

わたしはどうしてもそこから立ち直ることができない。だから同じような形でわたしを傷つけそうな女性を探し出す。そして信頼できそうな良い人は避けてきた」

この分析は辛いものだ。

こういう関係性は娘に対する父親と夫にもあてはまりそうだ。

パットの場合は母親と女性の恋人であった。

 

1934年にパットはニューヨークに戻る。

ここで彼女はジュリア・リッチマン高校という女子高に入る。

同性愛者の彼女がここで喜びを得たかというとそうではないようだ。

学校はカトリックユダヤの勢力で占められプロテスタントの彼女の居場所はなかった。さらに移民の流入、特にヒットラー政権下のユダヤ人の難民の増加で一つの机と椅子を二人で使用せねばならなかった。(辛そうだ。日本人ならもう床に座りたい)

この学校の名前になっているニューヨーク市で女性初の学区教育長となった人物ジュリア・リッチマンは共著の本を出しそこに「無秩序もわたしたちが取り組まねばならない悪ですが、犯罪ははるかに悪いものです」と書いている。

これはハイスミスの描く世界とは相反するものだ、と筆者は書く。

ハイスミスの小説では犯罪は心理的に追い込まれた結果でありそれを裁く者の方が腐敗している場合が多い、のだと。

 

また女子ばかりの学校はパットにとって面白いものではなかったらしい。

「男子のユーモアのほうが女子よりも格段に優れていた」と書く。

これも時代的なことなのか。

単純な性差ではない、と私は思うがここにもハイスミス女性嫌悪が現れている。

しかし反面彼女の同性への恋愛感情もまた生まれており母親に「あなたレズなの?」というあからさまにおぞましい物言いをされ傷ついている。

また時代的にも同性愛は厳しく批判され「レズビアンは1930年代にはモンスター的存在とされていた」という。

クリスチャンサイエンスという新興宗教にはまり(二十代には離れる)その身体的ヒーリングに希望を持った。

15歳の頃に創作のネタ本を書き始める。

母の勧めで興味のないボーイフレンドを作りデートする一方、女子とのデートをして胸をときめかす。

 

高校卒業後パットは再び祖母のいるテキサスで過ごす。

実父と再会し今度は一緒に過ごす時間が増えたのだが実父が娘にしつこくキスを迫るという事態となって終わりを告げる。

いったいこれはなんだろうか。

成長したパットは実父に自分に似通ったものを感じて親しみを覚えたものが実父には性的な感情だと思われたのか。

この時期のパットは読書に没頭したようだ。そして処女作『見知らぬ乗客』に登場するサイコパス殺人者ブルーノのモデルとなる少年に出会っている。

 

6月にはニューヨークに戻ったパトリシアは「この一か月ですごく自分自身が変化した」と感じ未来への可能性を覚えていた。

 

第5章「自由の味」1938-1940

1938年9月ハイスミスはバーナード大学文学部英文学科四年制の学部生となった。

「熱望していた自由の味がここにはあった」

4章の終りに感じていた希望が実現していく。

ハイスミスは短編小説と戯曲の授業を取りギリシャラテン語動物学などの授業を受けた。

「あの頃はまさしく象牙の塔にいた」

彼女は幅広く英文学を学び「ユリイカ」の啓示を受けたという。

それはすべての芸術はひとつだと気づいたことだった。

「あらゆる芸術は伝達することへの欲望、美しさに対する愛、無秩序の中から秩序を作り出そうとする欲求に基づくものだ」

ハイスミスのお気に入りの教師は英語学の助教授エセル・スターヴァントで後にパットは自身のレズビアン小説『ザ・プライス・オブ・ソルト』(『キャロル』)の抜粋を見せて賛辞を受けている。

だが同時に彼女はその時も自信の無さに苦しんでいた。

十代二十代の頃のひどい臆病さは身体的な痛みと感じられていたのだ。

 

パットは母親に対し新しい見方をするようになる。

父母の口論の責任はスタンリーではなくメアリーにあると気づき始めたのだ。

メアリーがすべての根源だったと理解したパットは「幼少期の地獄」を再検証した。

「愛情が憎しみに変わる時というのは恐ろしいものだ。これ以上悪いことはない」

「母と結婚したわたし。だから誰とも結ばれない」

 

第6章「愛の遍歴」1940-1942

ハイスミスは文学ジャンキーから脱皮しグリニッジビレッジのバーへと繰り出す。

そこでパットは男っぽい格好をした中年レズビアンに出会う。

それから一週間のうちに「修道女のような十代は終わりを告げた」ハイスミスは性に目覚め日記に赤裸々に描いていった。

 

パットはロザリンドというイギリス生まれのエレガントな34歳の女性記者と出会い夢中になっていく。

ボブカットの金髪に明るい目をした彼女はハイスミスにとってインスピレーションの源であり性的対象というよりプラトニックな意味で愛した。

 

母に対しては今も深い思慕と憎しみが交互に襲ってきている。

 

パットは異性愛者の女性ヘレンに愛を告白する。

しかしこの恋が発展することはなかった。

 

ハイスミスの小説における独自のテーマが確立していく。

ふたりのまったく異なる人物による好意と嫌悪という相反する感情というものだ。

「非常に強いキャラクターが弱みを見せるのはそれぞれ正反対の方向に等しく引っ張られている時である」

 

ダンテの彷徨える魂のようにハイスミスは神のためにも悪魔のためにも生きる気はなく、自分自身のために生きるよう定められたのだと思っていた。

「慈悲と正義はどちらも互いを嘲笑っている」