
ネタバレします。
写真6枚目、母メアリーとパット。7枚目、メアリーとスタンリー。8枚目、ネコ型風船?を持つパット。
彼女は子供時代のことを「小さな地獄」と呼んでいたのだそうだがこの写真を見る限りそう見えない。ホームズなら見破るのか。
第9章「未知のかすかな恐怖」1945-1948
第二次世界大戦終了直後のニューヨークはヒトラーから逃れてアメリカに移住してきたヨーロッパの知識人たちによって爆発的かつ創造的活動の中心となっていた。
トーマス・マン、ナボコフ、ブレヒト、、作曲家のストラヴィンスキーなどといった多彩な顔ぶれであった。
そんな戦後のアメリカニューヨークでブームを巻き起こしたのはカフカだという。
ハイスミスもまたカフカを読み最初は理解しがたかったのも次第に親近感を持ち、さらには「わたしはカフカにあまりにも似ている」と思うのだ。
またサルトルやカミュといった当時注目を集めた思想や小説とのかかわりも語られる。
1947年6月、ハイスミスは『見知らぬ乗客』の執筆に着手していく。
だがハイスミスが描いた「ふたつに分かれた視点」は出版社を困惑させ彼女に対して一人の視点にするかエンターテインメントにするかを決めなければならないと助言する。
ハイスミスは助言は受け取らずこの作品を組み立てなおすことにした。
友人に相談しより二つのキャラクターをはっきりさせようとしたのだ。
第10章「愛しのヴァージニアたち」1945-1948
ハイスミスがいかにドストエフスキー『罪と罰』から影響を受けたかが語られる。
確かに主人公ラスコーリニコフの懊悩はハイスミスが持つものだろう。
そして重要なのはズヴィドリガイロフなのだ。
ここを読んでもう一度『罪と罰』を読み返さねばと思い立つ。
さて本章のタイトルに示されるように彼女の性生活も語られていく。
ハイスミスにとって最強の女神のひとりは間違いなく1946年6月に交際を始めたヴァージニア・ケント・ギャザーウッドだろう。
パットが彼女に出会ったのは1944年11月、ロザリンドが開いたパーティであった。
1915年生まれのヴァージニアはパットとはかけ離れた家柄の娘だった。
1935年にはルーズベルト・ジュニアの相手として名が挙がったが裕福な銀行家カミンズ・ギャザーウッドと結婚した。
しかし1941年に離婚、原因は彼女がレズビアンだということが夫に発覚したからだった。
ホテルの部屋に録音機が仕掛けられそれが法廷で再生されてレズビアンの関係を暴露されたのだ。ヴァージニアは親権を失った。
これはあまりにも『キャロル』に似ている。
5年後パットはそのヴァージニアと交際を始める。
が、事実は映画のようなロマンチックな予感を裏切る。
ヴァージニアの過度の飲酒もあった。
わずか一年でふたりは仲違いしヴァージニアが別の女性とベッドにいるのを目撃したパットは引き離そうとするが失敗し絶望する。
パットの中でヴァージニアは決して忘れられない存在であった。
パットは猫とカタツムリを愛したという。
彼女はカタツムリを題材にした小説を書いたが代理人はあまりの気持ち悪さに編集者に見せられないと却下した。
しかし四半世紀経ってグレアム・グリーンがその作品を称賛した。
作品の中で二元性を求め続けたように私生活においても精神的に求めるものと肉体の無軌道な衝動との間で常に引き裂かれていた。
知性では禁欲主義に傾きながら肉体的には不特定多数と関係を持つのを止められずにいたのだ。
1947年の夏と冬の間には似たような考えを持つ芸術家や作家や知識人たちの小さなボヘミアン集団に交わりたいという欲求を抱いていた。
コミック・ブックや小説を書くという仕事を終えると彼女は大戦後のマンハッタンの活気に満ちた社会の渦へと飛び込んでいった。
古典と現代双方の文化を学び、観劇をし映画を観、ひっきりなしのカクテルパーティを巡る。
そんな中で彼女はトルーマン・カポーティに出会う。
一時期ハイスミスはカポーティの作品を小馬鹿にしていたらしいがひとたび会った途端すっかり彼に魅了されてしまったらしい。
「可愛いトルーマンと一緒にでかけるのは楽しい」
彼は有名人でありしかも同性愛者であることをあけっぴろげに認めていた。
しかし彼の影響を受けすぎると堕落してしまうという自制も働く。
日曜日は執筆することにしていたハイスミスはその日の誘いは断ったのである。
なんという強い精神力か。
ハイスミスは自分のアパートをカポーティに貸すことで「ヤドーに参加できるよう手助けするよ」と言われる。
ハイスミスは無論喜び志願書を贈る。
そして「相当の実力がある」と認められ合格したのだった。
私は「ヤドー」を知らなかったのだがあまりに当然の如くに語られたので検索するしかなかった。
「ヤドー」はニューヨークにある芸術村で多くの芸術家がここで作品作りに専念し旅立っているのだ。
後にハイスミスは「ヤドー」に300万ドル資産のすべてを遺贈したと書かれている。
ハイスミスは新たな人生のスタートを切った。
ここで彼女はこれまでの過ちについて考えてみようと思い立つ。
自分のパートナーの選び方がどれだけ自分の精神的健康を左右してきたか自覚していた。
最も影響力があった恋人たちのイニシャル、年齢体格、髪や目の色、性格の類型、付き合った期間、別れた理由そして別れた後も彼女たちのことを考え続けた期間を一覧表にしたのだ。
それぞれに感想も書き加えた。
ロマンチックなはずの恋愛関係を数学的に解剖していく。
「共感能力に欠け自分を惹きつけるものに対して我慢ができない。それゆえ無意識のうちに自虐的になる。よりよくなると決め、自分自身の性格を根本的に変える必要がある」
第11章「ヤドー、シャドー、シャドー、ヤドー!」1948
ちょっと先走りした。ここにハイスミスが「ヤドー」を遺産相続人として三百万ドルを遺贈した、と書かれていた。
が、だけでなく、将来発生する印税の受け取りの権利も保証し、感謝の意を示した、とある。
つまり私の雀の涙も入っているというわけか?
彼女がその遺書を記した五十年余り前に二か月だけ過ごした場所への感謝として法外なものと筆者は書く。
確かに。
しかしそれほど若き二十代のハイスミスにとってこの二か月は重要だったのだろう。
『見知らぬ乗客』を「ヤドー」での平穏な夏で書き上げたのだ。
パットは西館に住む。お伽噺に出てくるような小塔のある建物の一階であった。
事務局長のエリザベス・エイムズはカポーティによると近代ゴシック小説から抜け出てきたような人物で『レベッカ』のダンヴァーズみたいであった」
この表現ですっかりイメージできる。
パットは小説を書くために強い酒を一杯ひっかける必要があった。
興奮を抑えるためなのだ。
ヤドーの住人たちは日中は自室に閉じこもり交配中のサケのような勢いでビールを求めてサラトガスプリングスまで歩いたという。
しかしある意味健康的でもある。
それでもハイスミスは日常生活の規律を厳格に守り夕方近くまでひたすら執筆をつづけた。
午前中には聖書を読んだ。
こうした規則正しい生活で胎内に宿る赤ん坊=小説は生まれたのである。
とはいえこういう生活の中でもハイスミスは規則を破って恋人の女性にサラトガスプリングスまで来てもらいさらに遠くへ逃避行し二晩を過ごした。
ヤドーの中ではマーク・ブランデルとの仲が深まりつつあった。
彼は同性愛に寛容で肯定的でパットに求婚した。
しかしその関係はアン・クラークの登場で遠のく。
ハイスミスはブランデルに失望し新しい恋人アンにそしてアンもパットに夢中になっていく。
しかしなぜか1948年ハイスミスは精神分析医エヴァ・クライン・リプシッツの心理療法を受けることにする。
ハイスミスがコミックブックで得る収入は55ドルだったがセラピー費用は一回31ドルだった。
その代償を支払ってハイスミスは何を得たのだろうか。
「同性愛は精神病だ」とするクラインの解釈はハイスミスをますます困惑させていく。
(いったいなぜ受けたのだろう)(流行だったから?)
しかしこの経験がハイスミスに『キャロル』を書かせることになる。