ガエル記

散策

『パトリシア・ハイスミスの華麗なる人生』アンドリュー・ウィルソン/訳:柿沼瑛子 その6

ネタバレします。

写真9枚目、21歳の時のパット。確かに魅力的である。

10枚目、バーナード時代のパット、知性を感じさせる。

11枚目、ケイト・キングズレー・スケットボル。バーナード時代からの終生の友。

12枚目、ロルフ・ティートゲンス。彼女が心の底から惹かれた数少ない男性のひとり。

13枚目。1942年。そのロルフによって撮影されたパットのヌード写真。かっこいい。

 

第12章「わたしはひと目で恋に落ちた」1948-1949

1948年12月パットは『キャロル』のモデルとなる女性と出会う。

彼女は美しかっただけではなく以前愛したヴァージニアを思わせた。

ブルーミングデールのおもちゃ売り場で働いていたハイスミスの前に現れたエレガントなブロンド女性は自分の娘のために人形を購入し配達を指示し去っていった。

彼女とは二度と会うことはなかったがその影響は絶大だったのだ。

 

彼女に出会った数日後パットは水疱瘡にかかり寝込んでしまう。

 

1949年初頭まだハイスミス心理療法を続けマーク・ブランデルと結婚できる状態にしようと試みていたが自身を分析すればするほど結婚は悲惨なものになるとわかってくるのだった。

莫大な費用だけが嵩むこの意味のない療法は彼女にとって負担でしかなかったはずだ。

(なぜここまで固執したのだろう)

 

1949年パットはコミックブックの仕事で金を貯めようやく念願のヨーロッパ旅行のチケットを予約する。

そこへエージェントからハーパー&ブラザーズがまだ題名も決まっていない『見知らぬ乗客』を出版したいという意向を伝えてきた。

その後彼女はマークとクリスマスに結婚することを決め人生最良の日と祝った。

 

ところがヨーロッパ旅行に向かう船室は一等先室ではなく最下層のDデッキの一番安いツーリストクラスで相部屋だと知り失望する(わからなかったのか)

これも旅費を削らされた心理療法のせいだと呪う。

パットは船室でコミックブックの原作を書き飛ばしマーク・ブランデルとの結婚に絶望していた。

 

が、イギリスに到着し一等客車でロンドンへ向かう。

ウォータールー駅で彼女を迎えたホストはコーエン夫妻であり後に彼女の小説を出版する。

夫妻は彼女をロールスロイスに乗せ豪華なランチでもてなした。

パットはたちまち美しいキャサリン・コーエンに夢中になる。(ここまで惚れっぽい人はいない気がする)

パットは彼女と別れひとりでフランス・パリへ行きサモトラケのニケを見、マルセーユへ南下しマークに一時的な別れの手紙を書く。

さらにイタリアのヴェネツィアボローニャフィレンツェそしてローマへと旅しキャサリンに電報を打ってナポリで落ち合うことになる。

ふたりは恋人同士になった(いいのか)

むろん二人は別れてそれぞれイギリスとアメリカへと戻った。

 

ハイスミスにとってヨーロッパ旅行は刺激的であった。

またロンドンでキルケゴールの著書を買い求めた。

「真実とは主観である」

不合理、アイデンティティの喪失、自意識の脆弱さ。

「かくのごとく絶望した者はひたすら変身することに血道をあげる。この変身がまるで上着を変えるように簡単だと思いたがる。そして自分が外側だけで生きていると自覚するのだ」

 

第13章「どの街にもキャロルはいる」1949-1951

が、ヨーロッパ旅行が彼女の未解決問題に決着をつけてくれることはなかった。

マーク・ブランデルとは再びベッドを共にすることとなる。彼はパットとの結婚をあきらめはしなかったのだ。

そのパットはキャサリンからの手紙を待ちわび戦後でまだ物資に乏しいイギリスに口紅やバターやチョコレートを送った。

 

1949年秋ハイスミスはまだレズビアン小説を書き続けていた。

当初のアイディアでは結末はアンハッピーとなる予定だった。しかし彼女が希望を感じさせるエンディングを見せると代理人はこちらを勧めた。

ふたりの女性がともに暮らしていくことを示唆する結末は今ではおとなしすぎると思えるが当時としては非常にラディカルだったのだ。

(私でさえそう思える)

 

1950年ハイスミスジョン・ヒューストン監督『アスファルト・ジャングル』を観て感銘を受ける。犯罪者の視点に観客を感情移入させてしまう手法だった。

 

その4月ハイスミスはマークに最終的な別れの手紙を書き、ほぼ同時にキャサリンから丁寧な拒絶の手紙を受け取った。

ハイスミスはキャロルとテレーズの世界にのめり込む。

「わたしは今やふたりとともに生きている」

さらに彼女はキャロルのモデルとなった会えない女性の家に向かう。こっそり見るためだった。

ここで彼女はその女性を殺すことまで考えるのだ。

憎しみではなく愛ゆえの殺人だ。

自分の感情が報われるかどうかが問題ではなかった。

熱愛という特権こそが必要だったのだ。

 

1950年3月に『見知らぬ乗客』は刊行された。

そこには「すべてのヴァージニアたちへ」と献辞されている。

刊行から数日もしないうち『見知らぬ乗客』は映画会社の興味を惹きつける。

彼女の代理人は四千ドルのオファーを却下し最終的に無期限の原作使用料として六千ドルと脚本が改稿されるたびに千五百ドル支払う追加条件を受け入れた。

落札したのはアルフレッド・ヒッチコックだったがマーゴット・ジョンソンが契約を締結するまで正体を明かさなかった。

つまりはヒッチコックとしては破格な低額ということだ。

いわば騙されたというべきだろうが当時のハイスミスにはありがたい報酬だった。

 

ハイスミスの小説の脚本化を依頼されたレイモンド・チャンドラーは週給二千五百ドルを受け取るが非常に困難な作業だったという。

7月に受け9月26日に完成とだけあるので、ちょっと計算しにくいが一万五千から2万ドルはあるのではないか。原作が六千ドルなのに。

そういうものか。

 

映画は1951年7月にアメリカで公開されハイスミスはヨーロッパにいたので10月に観ることとなる。

当初は出来栄えに満足していたものの後になってからヒッチコックが原作の衝撃力を骨抜きにしてしまったと非難する。

 

1952年5月、クレア・モーガン名義で『キャロル』が出版される。

この作品はブックレビューでは酷評だったが一般読者は違っていた。

25セントのペーパーバック版が出ると百万部を超える売り上げを記録した。アメリカ中の同性愛者たちからの反響は爆発的だった。

ハイスミスのもとには何か月もの間、週二回十通以上の手紙が舞い込む。

それらの手紙はどれも心打たれるものばかりだった。

 

だがモデルとなった女性がこの本を読むことはなかった。

1951年10月彼女はガレージで車のドアを閉めてエンジンをかけたのだ。

ハイスミスは現実のキャロルの運命を知る由もなかった。