
ネタバレします。
写真14枚目、一ページまるまる使った一枚はヴァージニア・ケント・ギャザーウッド。1946年から47年にかけてのハイスミスの恋人だった。彼女の最高の女神と呼ばれる。キャロルのモデルでもある。気品ある美しさだ。
15枚目、マーク・ブランデル。ハイスミスの婚約者。パットは彼と結婚するため異性愛者になろうと六か月間心理療法士の高額なセラピーを受け続け無駄に終わる。
16枚目。1951年に公開されたヒッチコック『見知らぬ乗客』より。
第14章「ふたつのアイデンティティ 犠牲者にして殺人者」1951-1953
続く二年間をヨーロッパで過ごすつもりだった。彼女が三年後に創り出す主人公トム・リプリーのように決まった住所を持たない為、手紙はアメリカンエクスプレスのオフィスまで取りに行かねばならなかった。
彼女はアメリカでよりヨーロッパの方が友人が作りやすく、出費が少なくてすんだ。
キャサリン・コーエンと再会するが彼女は以前の輝きを失っていてしかも夫と離婚する気は無いようだった。
ハイスミスは大陸巡遊旅行を続けヴェネツィアではサマセット・モームとカクテルを楽しんだ。
この旅行中にエドガー・アラン・ポー賞を惜しくも逃し、『キャロル』の出版のめどが立ち手を入れて仕上げ、『眠れない夜』のおおよそのプロットを完成させ、『ヤコブの椅子』という四百ページの純文学作品を書いたが出版を拒否されなぜか1958年に行方がわからなくなりスイス文学資料館に最後の10ページだけが保管されている。
この作品もまたふたりの男性のホモエロチックなものだという。
エレンは彼女のそれからの四年間をすっかり変えてしまうが、その後も絆は切れることなく愛憎半ばする関係は死の数年前まで続いた。
エレンは意地悪な女教師みたいだったという。エレンは知的な女性で人を見下すようなところがあった。不快な人間だったと評される。
しかしどういうわけか互いを苦しめ合いながら二人には絆としかいいようのないものがあった。
パットは寝食を忘れるほど彼女を愛したがエレンからは恋人を美化して考える癖を指摘されてしまう。
またちょっとした失敗もエレンは怒りを爆発させた。
ふたりはヨーロッパを旅行し先に進むほどその仲は険悪になっていく。
1952年、パットは夢を見る。愛したキャサリンと少女が同じ部屋にいる夢だった。
パットはその少女をバスタブに立たせ祖母に似た人形を持たせて火をつける。炎が燃え上がるとキャサリンは泣きだしパットの肩に顔を埋めた。パットは「この少女が火をつけてほしいと望んだのだ」と伝えたが少女は苦しみ炎から逃れようとする。罪悪感で目覚める。
その少女は自分自身だと思えた。
「そこではわたしは二つのアイデンティティを持っていた。犠牲者にして殺人者の」
ハイスミスはエレンと旅を続け、アマルフィ海岸の漁師町は地中海独特の空のように青い海がきらめいていた。
ある朝6時半、ハイスミスはバルコニーに出て若い男がひとりきり海岸を散歩しているのを見る。
その情景が彼女にトム・リプリーを生み出させた。
エレンとの関係は最悪になりその影響は小説の中に描かれる。
そしてふたりは散々ケンカを繰り返した後やむなく別れたのだった。
しかし数日後にパットはもうエレンを求め電話をしジェノバで落ち合いトリエステという街に住む。
またも絶え間ないケンカを繰り返しハイスミスは執筆もうまくいかず今度こそは関係を断とうとする。
それでも別れることはできないまま旅を続け船でニューヨークに向かった。
ニューヨークに戻ると友人のアパートを二か月又借りし、ロルフ・ティートゲンスとデートしこれまでの男性との関係では最も良い肉体関係を持った。
パットは執筆で疲弊しエレンからの嫉妬で苦しむ。
パットが出かけている間にエレンは睡眠薬を大量に飲み昏睡した。
なんとか生きながらえたエレンを抱きしめると彼女は復縁を求めた。
答えははっきりしていたが心は揺れていた。
第15章「パット・H 別名リプリー」1953-1955
1953年帰国したハイスミスはアメリカのパラノイア的空気にショックを受ける。
50年から53年にかけての朝鮮戦争、アメリカが支援する反共産主義韓国と共産主義国家北朝鮮との戦争はイデオロギーの戦いの象徴として米国内を席巻していた。
朝鮮戦争後のアイゼンハワーの時代は平和と繁栄の時代と称された。
経済は成長し生活水準は上がり続け人口は増加した。
こうした時代にアイデンティティの危機とアメリカ男性の心に居座る空しさを追求した『妻を殺したかった男』が執筆される。
主人公は殺人を頭の中で再構築し実行計画のリハーサルを心の中で行う。
ハイスミスの堕落への傾向ー酒の飲みすぎ、奔放な性行為、そしてまた恋人選びの失敗は繰り返される。
1954年9月『妻を殺したかった男』出版。
そして新たな小説のプロットを考え始める。
『太陽がいっぱい』である。
中心的なテーマ「変幻自在なアイデンティティの本質、そして見かけと中身の差」
「人間の本質における奇妙な真実。それは偽物も最終的には本物になってしまうことである」
「テーマは激しいフラストレーション。ある人間が自分には手の届かない、あるいは一緒になることのできないような相手を愛している状態」
『太陽がいっぱい』は1955年12月に刊行され好評を持って迎えられた。
この作品は多くの賞を獲得し、エドガー・アラン・ポー賞特別賞にも選ばれた。
その賞状にパットは「ミスター・リプリーと」と書き加える。
「わたしはこれを書いているのはリプリーで自分はタイプしているだけだと感じていた」
第16章「内なる妖怪の支配」1955-1958
ハイスミスが亡くなる数年前まで友人としてのつき合いはあったものの親密な関係は終わっていた。
1956年6月にはニューヨークでのお試し同棲期間を経て田舎へと引っ越した。そこでの生活は牧歌的なものであった。
しかしわずか四か月後パットはこの生活に居心地の悪さを感じ始める。
新しい恋人はあまりにも善人すぎたのだ。
1956年6月ハイスミスは6番目の長編となる「生者たちのゲーム』の創作メモを取り始める。
だがここで試みられたミステリーと哲学的探究の融合はあまり成功しなかった、と書かれる。
哲学的主題が自意識過剰気味な手法でそこここに道標のように掲げられ結論はいささかこじつけ気味に見えてしまう、と。
「彼は、この世界には意味も目的もなく、あるのは虚無ばかりで、人間の営為のすべてはいつか滅びる、人間という存在と同じ壮大な冗談なのだと信じている」
後年ハイスミスは1958年11月に刊行された『生物たちのゲーム』を自分の作品の中で最も出来の悪い一冊とみなした。
小説の執筆に行き詰まると彼女はちょっとした息抜きをしようと『パンダのミランダはベランダにいるよ』という自分で絵を描いき友人ドリスが言葉遊びのキャプションをつけた子供向け絵本を刊行する(1958年)
ハイスミスの恋人の関係はこじれはじめていた。