
ネタバレします。
写真17・18枚目。パトリシア。どちらも明るく楽しそう。
持論「アメリカ人はどうしようもなく真実のリアリティから外れているそれをまっとうにとらえているのはヨーロッパじんである」
19枚目。『キャロル』のモデルとなった女性。
20枚目。エレン・ヒル。パットと4年間波乱に満ちた恋愛をした女性だが、この写真では痩せて冷たそうに見える。
21枚目。リン・ロスとアン・クラーク。ともにパットが生涯にわたって思い続けた元・恋人たち。
第17章「愛しすぎた男」1958-1959
1960年『愛しすぎた男』刊行。主人公デイヴィッド・ケルシーは自分の中にノイマイスターという別人格を作り出す。
回スミスが描くニーチェ的主人公の二面性は相克的パターンに陥りやすい。
わたしはこの”相克” という設定に酷く惹かれる。
誰かになりすます、という意味では『太陽がいっぱい』と同じだが自分の中でもう一つの人格を作り出してしまう、という点でさらに進んでいる。
1958年パットに新しいミューズが現れる。メアリー・ローニン。パットより9歳年上のイラストレイターだ。
しかし同時にコピーライターの恋人とも一緒に暮らし続けている。
1959年になると熱愛していたローニンへの思いも薄れていく。
1950年代はずっと金欠だったとハイスミスは述べている。そのせいなのか1958年末、代理人のマーゴット・ジョンソンとの契約を解消。
フランスの代理人ジェニー・ブラッドリーを選びもっと出版契約金をあげるように要求した。
『太陽がいっぱい』の映画化権を一万二千ドルか一万五千ドルで売りたいと考え1959年ロベールとレイモンド・アキム兄弟が製作者としてこの映画化権を買いあの素晴らしい映画を作り上げた。
どちらの金額だったか明記されていないが少なくとも『見知らぬ乗客』の倍である。
1959年初め、ハイスミスはジョンソンに代えてニューヨークを拠点とする著作権エージェント、コンスタンス・スミス・アソシエイツの共同経営者パトリシア・シャートルを著作権代理人に指名した。
とはいえ出版業界で売れているのはアガサ・クリスティとミッキー・スピレインだけだったと書かれている。
ハイスミスも50年代後半と60年代は苦戦していたのだ。
シャートルはハイスミスの「ほぼ完ぺきな才智のひらめきを二度体験している」と語る。一度目は『見知らぬ乗客』の着想であり二度目はリプリーという人物を創造したことである、と。
「ハイスミスの第一印象は孤独感、悲しみ。まだ若いのに喜びやバランス感覚が欠けていた。人見知りが激しく、体つきも貧弱で男の子っぽく彼女と打ちとけるなんてとうてい無理だった。あらゆることに対して根深い不信感を持っているという印象だった。自分の過去については話さず、アメリカではなくヨーロッパの優越性をひけらかそうとして痛々しかった。まったく礼儀知らずで気の毒な女性だった」
「良いところはレズビアンだというのを隠そうとしていなかったこと。嫌いなところは陰険でひどく意地悪なところ。
きっと彼女の嫌なところが作家としての個性を確立することになっていたのではないか。人間不信、強い殺意、それが彼女の奥深くに流れていた」
ハイスミスがたった一度だけ笑ったのは「ニューヨークの地下鉄のポスターで怪人が子供の目をくりぬいている」のを見た時だった。
第18章「法を破る人々へのひそかなる好意」1959-1960
1959年の暮れハイスミスは「道徳そのものよりも興味を惹くことがある。それは戦後に影を落としている道徳観の崩壊と絶望感だ」
わたしたちは”美徳による報酬”を疑わねばならず、次世代そして今世代に幸福をもたらすとされる美徳の力も疑わずにはいられない。
アメリカは地球上でもっとも裕福な国に数えられるが他のどのくによりも国民が不安にさいなまれ職場からも自分自身からも孤立していると感じているという事実は驚くに当たらない。
ハイスミスの描く空虚な人物からあふれ出る超道徳的な毒は読者をじわじわと蝕み。その歪んだビジョンで堕落させていく。
「パトリシア・ハイスミスにとって朝食をとることや犬を散歩させることと、殺人をおかすことは道徳的には同列に位置付けられている」
ハイスミスは殺人を一種の「生きる喜び」として描き出している。
「犠牲者に対する同情のなさが彼女が時代に合わなかった理由だ」
ハイスミスは生前にはアメリカで人気作家になれなかったのは彼女が一般の道徳観から外れていることだ。広く読まれるにはダーク過ぎた。
「彼女の作品はどこか人を嫌な気分にさせるところがある」
共感できる人物がひとりもいないことで読者は不安になってしまうのだ。
ハイスミスは真に超道徳的な人間だ、とも言われる。
しかし人としての彼女はきわめて保守的でもある。
1940年代半ばからパットは母メアリーの精神状態に懸念をもっていた。
1959年にはそれとわかるほど母の様子はおかしくなり高齢の祖母と恐ろしく似ている状況になる。
その様子にパットはやがて自分もそうなると考えずにはおられない。
1959年、ギリシャのペロポネソス地方ナフプリオンという優美な要塞の町で過ごしたパットは十年前の夏にキャサリン・コーエンと過ごした幸せな休暇を思い出したに違いない。
その頃、54歳のキャサリンはチェルシーの自宅で自殺したのだった。
その訃報の新聞記事を彼女は切り抜きずっと持っていた。
「どん底まで落ちた者にとってはこれ以上悪くなりようがない。人類全体を憎むことはなんとたやすいことか。どうして生きていかなければならないのか、わからない」