
ネタバレします。
写真22枚目。1959年、映画『太陽がいっぱい』のアラン・ドロン。
ファンではないが、映画は素晴らしい。
23枚目。1999年『リプリー』マット・デイモンのリプリー。
だけどやはり『リプリー』の方が好きなのだ。
マット・デイモンがリプリーにピッタリかどうかは置いておくがマット・デイモンのファンでもある。
24枚目。ハイスミスがチャールズ・ラティマーにあてた『贋作』の署名。
第21章「愛は外へ出て行くもの」1964-1967
サスペンス小説の系譜としてハイスミスは「ドストエフスキー、ウィルキー・コリンズ、ヘンリー・ジェイムズ、エドガー・アラン・ポー」の名を挙げている。
彼女は若い作家に思考やアイディアをノートに書きためておくよう勧め、自分の無意識の力を信頼すべきと説き、無理矢理アイディアをひねりだすものではないと指南する。
ハイスミスはテレビ用の脚本を書こうとしてあまりうまくいかなかったらしい。
だがリプリーシリーズ第二弾『贋作』は当初テレにのために構想した脚本から生まれたことを考えればこの挑戦もあながち無駄だったとは言えない。
1964年3月、パットの母メアリーは娘に宛てて二十九枚にわたる激しい罵倒を並べた手紙を送りつけた。
母との確執とともにハイスミスは愛する女性たちとの関係も絶えず問題がある。
異性愛にしても同性愛にしてもここまで問題が多い作家を私は今まで知っただろうか。
パットがカタツムリが好きだという話もなんとなく不気味である。いや、わたしも可愛いとは思うんだけど。ハイスミスが書くと不気味だ。
あれほど互いに恋い焦がれたハイスミスとX夫人との恋愛もついに終止符を打つ。
第22章「きらめく虚空」1967-1968
X夫人との関係が破綻した後、ハイスミスはイギリスを離れパリをぐるりと囲む緑の森が広がるイル=ド=フランスに居を構える。
18世紀画家コローが「卓越した王の領土」と呼んだこの田園地帯は古くからゴシック建築発祥の地として名高く豪勢な宮殿が立ち並ぶ。
ハイスミスはその後13年間四回居を移すが引っ越し先はいずれもフォンテーヌブローの半径二十五キロ以内だった。
1967年ハイスミスは友人のエリザベスと一緒に車の旅をし、その途中でトゥレーヌ地区のモンバゾンで国際短編映画祭に審査員として出席したがそこにあるひややかな雰囲気と名声への嫉妬にうんざりしたと書かれている。
三月にハイスミスはエリザベスが見つけたフォンテーヌの森の中にある家が気に入り借りることとなった。家賃は月百七十ドル。
同じ頃、コロンビア・ピクチャーズに『ヴェネツィアで消えた男』の映画化権が売れ二万六千ドルを受け取りすぐ別の家を購入した。
サモワ=シュル=セーヌというセーヌ川のほとりにある魅力的な色合いのその家は二万九千ドルで売り出されておりエリザベスと共同で購入したのである。
恋人関係ではなかったが、ハイスミスは年上の女性が自分と一緒に暮らしたいと言ってくれたことに喜びを覚えていた。「自分を受け入れてくれる女性がいると思ってもみなかった」のだが、このふたりの暮らしは最初から暗雲が立ち込めていた。
ハイスミスは家を改装するのにすっかり疲れ果ててしまったのにこの友人はハイスミスは手際が悪いと罵声を浴びせるだけだったのだ。
「なぜ、またしても自分を支配したがる女性を引き入れてしまったんだろう」
「わたしは一緒にいて安らげない人を選ぶ傾向があるのだ。完璧主義でわたしに命令するような人に惹かれてしまうのだ」
「わたしの部屋はむさくるしく、救いがたいほどだらしがない」
私生活の問題に耐え忍びながらハイスミスはチュニジアを舞台にした『変身の恐怖』の執筆に専念した。
作品を書き上げたのは1968年2月だった。グレアム・グリーンはハイスミスの最高傑作だとした。
1968年3月、ロンドンのジャーナリストであるマドレーン・ハームズワースがインタビューのためにサモワ=シュル=セーヌのハイスミスの自宅を訪れる。
オックスフォード大卒の26歳、長い黒髪でどこか東洋的な容貌はハイスミスの目にこれ以上ないほど魅力的に映った。
ハイスミスは彼女をベッドに誘ったのだ。
マドレーンはハイスミスの信奉者だったのでその誘いは嬉しくジャーナリストとして興味津々でもあった。
確かにマドレーンの感想はジャーナリストらしいものだ。
彼女は新しい生活を楽しみながらもハイスミスをじっくり観察している。
一方のハイスミスはいつものように世界に振り回されている。
フランスの物価高を嘆き、学生たちの反乱やストライキ暴動に衝撃を受けキング牧師そしてロバート・ケネディの暗殺事件に動揺する。
また友人であるはずのエリザベスからは家の代金の半分の支払いを拒否される。
新しい住居は他の人家からかなり離れておりゆったりとできたがゴミ捨てにも猫の餌の買い出しにも車を走らせるしかなかった。
新しい恋人のマドレーンはパットの様子を冷静に観察し彼女が単純な空想をして「自分が猫と美食を愛している優れた園芸家だ」と見せようとするのに気づく。
また猫の世話はかなりおざなりだと感じている。
ハイスミスはまたも戯曲を書いて失敗している。彼女はどうしても女性がうまく描けないのである。
マドレーンはすでにパットと距離を置こうと考え始めていたがしつこくせがまれ行動を共にする。
そうしてパットがいかに不安定で底意地が悪く、人間嫌いであるかを知っていく。
「わたしにはパットが誰かの感情や行動を模倣せずにはいられなかったように思うの。まるでリプリーみたいにね。もちろん時には社会的良識がないことが魅力的に見えるかもしれないけど彼女の場合は危なっかしくて不安だった」
「彼女がアルコール依存症なのは大きく関係している。社会常識のなさに依存症が加わるとほとんど精神異常者と付き合っているのと変わらなくなる。
彼女はそれをうまく隠していたけど朝起きた時から飲み始めていて私は彼女から離れだしたの」
「彼女は書くことで救われていた。作家でなかったら今頃精神病院か更生施設に入れられていた。彼女が描くキャラクターは皆彼女自身なのよ」
第23章「嘘・偽物・贋作」1968-1969
『太陽がいっぱい』の続編は1970年『贋作』として刊行される。
ハイスミスお気に入りのリプリーの続編にふさわしいものにするために彼女は苦慮した。
四週間で百六十ページという驚異的なスピードで執筆していったがその後急速に落ち込み憔悴し行き詰った。
ジャーナリストたちはハイスミスの美貌が失われつつあることに気づく、と書かれている。
ハイスミスは再び『贋作』にとりかかり仕上げていく。
1969年8月モンマシューの自宅でハイスミスは『贋作』を脱稿した。
『太陽がいっぱい』から六年が経過していた。
リプリーは犯した罪を免れただけでなくディッキーから相当な財産を相続している。31歳となり大富豪の娘エロイーズと結婚してその父親から豪勢な生活ができる金を受け取っている。
のだが、彼はさらに自由に使える金を得るためにアメリカ人リーヴズ・マイノットと組んで定期的に贋作商売をやっている。
ハイスミスはリプリーを成長させサスペンスはさらに高まっていく。
筆者はリプリーをワイルドのドリアン・グレイに重ねている。
ワイルドは自身の随筆でリプリーのような美術評論家、詩人、画家、毒殺者は「何事かを成すより何者かであろうとする人物」つまり「人生は一個の芸術作品だと理解している」人物であると述べている。
ハイスミスが登場人物と同様に自分自身を創作したように、リプリーも他者の人格を自分のものとし、そう生きることで生きる芸術作品へと自信を変貌させたのである。
ハイスミスは一定期間小説に集中して現実の生活に立ち返るたびにひどい気力減退に見舞われ痛切な苦しみを味わった。
小説の中で、ダーワットのノートに書かれた言葉をバーナードが書き写したという形でハイスミスはこの苦痛を語っている。
「芸術家にとって最大の憂鬱、それは自己への回帰によって引き起こされる」