ガエル記

散策

『パトリシア・ハイスミスの華麗なる人生』アンドリュー・ウィルソン/訳:柿沼瑛子 その15

ネタバレします。

 

第36章「約束はできない」1992-1993

1992年3月ハイスミスチューリッヒを舞台にした小説を考えていた。

サスペンス小説にするつもりでプロットを考えていたが途中で方針を変え犯罪を端においやることにした。

『スモールg ひと夏の恋物語』(邦題は『スモールgの夜』)

この作品はハイスミスが今まで書いてきた物語とは違うのだという。

そしてこの作品は彼女の最後の作品、遺作なのである。

ハイスミスの「悪の物語」をずっと愛してきた読者にとってこの作品は「裏切られる」作品なのだとも語られる。

悪魔から神に乗り換えた?

悪魔を裏切った?

それまでの凡庸な幸福を退けてきたハイスミスは最期に良い人になってしまったのか?

 

作品をほぼ読まずにこの本を手に取った私は苦悶するしかない。

この本を読むことができる許可証を持つのはハイスミス作品を熟読した者に限るかもしれないがこのジレンマを体験できるのは読まなかった人間の特権でもある。

私がこれからハイスミスの作品を読んでいくのか、たぶんそうなるとは思うが読めば読むほど「ああこういうことだったのか」という謎解きを感じられるのではないかという奇妙な期待もある。

なんにせよ、あまり読みたい気持ちが起こらない年取った私がここ最近になく昂るものを感じているのである。

若い頃には絶え間なかったこの興奮をもう一度与えてくれただけでもありがたい。

「善は悪に勝利する。読者にとっては不本意かもしれないが」

気になる。

しかしさすがにこの小説は最後とまでは行かなくともある程度読み進んでから読んだ方がいいものか。

 

ハイスミスがおおいに心を痛めていたパレスチナ問題が2025年今もまだ、というか恐ろしい状況になっているのはどうしたものだろう。

 

ハイスミスがスイスの自宅を「小ヤドー」にしてこれからの芸術家の棲み処にしたいという願いを持っていたというエピソードが語られる。

現実的にはハイスミスの家はとてもそんな大きさではなかったのだがその希望を聞いた(実際の)ヤドー運営委員会の主事ドナルド・ライス氏は彼女に好意を持ち彼女から聞かされる計画をこころよく辛抱強く聞いたのだという。

そのためだったのだろうか、ハイスミスはヤドーに全財産(著作権を除く)を遺すことになったのだ。

 

ここにきて本作ではハイスミスの実像を描く。

彼女に会ったニール・ゴードンは語る。

「彼女は小柄でおよそ飾り気というものがない、人好きのするひどく控えめな女性だった」

「その時私が感じた圧倒的な印象は三つの認識レベルにおける不調和とも言うべきものだった。

「ひとつは、この控えめな礼儀正しい女性がおぞましい殺人事件を書いた」

「ふたつは、どちらかというと偏狭なこの女性が現代文学におけるもっちに政治的にラディカルとみなされる作品を書いた」

「みっつは、彼女が書き上げた作品の複雑さと、彼女自身のあまりに単純な見解との隔たりに」

リプリーがやすやすと殺人をおかすのは1950年代アメリカというおぞましいホモフォビアの社会に存在していくために必要な脚色なのだ」

リプリーは人を殺すことが罪であることを否定する」

 

ハイスミスアメリカ・テキサスに滞在し愚鈍な俗物根性や粗野な実利主義、親共和党的な意見にうんざりしスイスの自宅に戻ってほっとしたという。

「テキサスにはヨーロッパが欠けていた」

なんだか、笑える。

 

それは断続的な鼻血を伴う風邪からはじまった。

酷い貧血であると判る。健康な人間なら十五万あるはずの血小板が四万しかなかったという。

ロカルノの病院で腫瘍除去手術を受け、カントンスピタルに入院し点滴静脈注射を受け治療した。

ほとんどアル中だった彼女は酒を止めた。

体重は減り体力は衰えた。

残された時間が限られていると悟っていた。

1994年5月ハイスミスはアインジーデルン修道院にいたブルーノ・ゼイガーを看護人として雇い入れた。

彼はハイスミスを「小柄で痩せていてほとんど透けて見えそうな薄い大きな手をしていた」と語る。

彼は病院に搬送してくれる運転手として求められたが家の中を整理し庭を綺麗にし薔薇の剪定を頼まれた。

料理をし買い物を頼まれたが給金はほんのわずかだったという。

ブルーノの尽力にハイスミスは感謝していた。

「彼がいてくれるおかげで人生が楽になった」

(ええっ。もっと早くそうした人を雇うことはできなかったのか)

 

こうしてハイスミスは遺作となる『スモールgの夜』を完成させる。

イギリスやフランでは称賛されたが母国アメリカの出版社はこの作品を却下した。

ハイスミスは故国を追放された作家なのだと語られる。

 

彼女は体力が弱っていたにも関わらずパリへ行きル・ヌーヴェル・オブゼヴァトゥールの三十周年を祝う式典に参加し友人のジャンヌ・モローと再会した。

そのスナップショットで痩せ衰えてはいるが、白シャツにコバルトブルーのカウボーイペンダントとメキシコ風のベストをぴしっと着こなした姿を見せている。

彼女は体力を振り絞って自分の務めを果たした。

しかし1995年の3月に『スモールgの夜』刊行に合わせもう一度パリにきてほしいとの依頼には「来年の3月については約束できない」と答えたのである。

 

自宅に戻ったハイスミスは今一度自分の財産の取り決めにかかった。

ここでも彼女は弁護士に金を払うのを嫌って衰弱している。

 

ブルーノ・ゼイガーが去ったあと、若い女性が介護を任されたがわずか一か月後に去っている。

それでも友人たちが定期的に訪れなかでもインゲボルグ・リュッシャーは彼女に痛みを和らげるマッサージを施し彼女も喜んだ。

いつもは人に触られるのを嫌うのだ。

インゲボルグはできるだけそっとマッサージしたという。なにしろ彼女はもう骨と皮しか残っていなかった。

「最後の二週間はとても近しくなった。彼女はこう言ったーわたしは死ぬのよ、もしかしたらあなたを見るのもこれで最後かもしれないー彼女は支えを必要としていた」

 

1995年2月4日、朝6時半、ハイスミスはひとりで死んでいった。

 

「エピローグ」

2月6日、生前の遺言に従い、ハイスミスは火葬にされた。

葬儀はとてもシンプルで弔問客は少人数だったけど彼女を愛した人ばかりだった。

「パットが本当に願っていたとおりだった」

 

 

あとは謝辞と「あとがきに代えて ハイスミス断章」として彼女にまつわるものを簡略にまとめられている。

 

この分厚い本作を2週間という貸出限定期間で読み終える自信はなかったのだけど運よく何事もなく読み終えることができました。

図書館というのは実に貧乏人にとってありがたい存在です。

最近は「老齢のためもう本が読めなくなってしまった」とうそぶいていたのですがやろうと思えばやれるんだという反省もしております。

しかしそれはやはりハイスミスという魅力あってのことだとも言い訳しておきます。

 

同時にアメリカの歴史を改めて辿り様々に思いを巡らせました。

1995年になっても同性愛に関する小説は出版されなかった、といっていいのでしょうか。

しかし1999年映画『リプリー』ではかなり同性愛的描写があるのも認められそれを機にハイスミスの作品がアメリカで再認識され再販され始めたという事実を今回知りました。

確かに私自身の印象でもアメリカの同性愛許容が最近になって急に起こったと感じていました。

 

さて私のハイスミスへの旅は今始まったばかりです。

とにかく小説を読む力が衰えてしまったのは実感しているのですが少しずつ彼女の世界を楽しんでいきたいと思っております。

 

といいながら次回からはふたたび諸星大二郎へ行きたい気もしているという・・・。