ガエル記

散策

『十二人の怒れる男』シドニー・ルメット(1957年製作)

名作の名高い本作。

私も何度か鑑賞してはいるのですがおおよそのイメージはあるものの詳細は思い出せず、もう一度確かめたくなり再鑑賞しました。

 

ネタバレします。

 

「ほんとうにそれほどの名作と言えるのかねえ」という疑惑のもとに観始めた。

昨今、映画を観ていても夢中になれることがほとんどなくほどなく飽きてしまいがちなのだが観始めて数分夢中になって珍しく最後まで集中して観てしまった。

 

映画のほとんどが一室での12人の男たちの喋りのみでできている本作。

過去映像、記憶映像などは全く入らない。

すべてがしゃべりだけで考えさせられる、というのが集中せざるを得ない理由なのだろうがそれもつまらなければ逆に止めてしまいそうなものでいったいどこに秘密があるのだろう。

 

多くの人が語っているのは「この映画のミソは真犯人を捜すことではなくこの裁判を疑ってみる」という一点に絞っていることでその通りだと思う。

ヘンリー・フォンダ演じる陪審員8番が言う「わたしにもあの少年が有罪か無罪かはわからない。ただ裁判に納得ができないのです。ほんとうなのかな、と疑いがあるのです」という言葉のとおりに展開していき、12人の男たちがそれについて議論を戦わせる。

「12人の男たち」メンバーにも独特の面白さを感じる。

当時としては当たり前なのかわからないが今観るとこの12人の選抜はかなり偏っていて奇妙にも思える。

全員男なのが無論おかしいし全員白人で年齢もほぼ40代から50代に偏っていてひとりだけ老人と言える人がいる。「若い」と感じる人はいない。

今作ればもちろん男女、人種の混合、年齢ももっと幅広くするだろうがこの選抜の狭さが一種のまとまりにもなっている。

名前を出さないのも面白い。

舞台がアメリカなので名前によってその人種の目安がつく。見た目には白人には見えるがそうした名前によって○○系というのが伏せられているのかもしれない。(最後の最後に主人公と老人のみが名前を伝え合う)

ユダヤ系、イタリア系、ドイツ系というような背景が消されている。

が、職業は少しずつ明かされていく。

主人公の8号は建築家である。

一番の美男子12番は軽薄に思える、広告代理店勤務。

冷静で堅実で汗をかかない眼鏡紳士は株式仲買人、というふうに。

名前と人種は明かさないが職業は知らせるのもおもしろい。

自分がこうした物語を考えるのならそうした組み合わせをどうすればどういう展開になっていくか、と誰しもが考えてしまいそうだ。

 

被告の少年についても情報が少ない。

同じく名前と人種は明かされない。これも不思議ではある。

なぜならふつう「黒人が」「ヒスパニックが」「アジア人が」となどというようなもしくは「白人の少年が」でもいいが、条件付けをしそうなのにそこは語られないからだ。

ただ「スラム街に生まれ育った少年が」ということと少年は18歳ということ、父親は190センチほどの大男なのに少年は170センチの小柄な体型だと知らされる。

母親は現在おらず日常的に父親から暴力を受け続けてきたこと。

ナイフの使い手だったこと。これは刺殺の犯人裁判として不利のようだが後に逆にそのことが彼を救うこととなる。

映画では少年の顔が一瞬映るので、(たぶん一般的な)黒人ではないとはわかる。(混血かとかまではなんとも)私にはユダヤ系の顔に思えたのであるが他の方のレビューを見ていると「黒人」と思い込んでいる方と「ヒスパニック系」と書いている人もいる。

情報としてあるのかもしれないが私にはプエルトリコ人というよりもユダヤ系に見えたのだが確信はない。

とにかく映画内のセリフで「○○系の少年」という表現はなかったと思う。

つまりこの映画では○○系人種という差別はされていない。

「スラム街に住む奴はロクな奴じゃない」という差別が語られるのだ。

そのことを根強く差別する10番は何度も繰り返し罵倒するのだがやがて皆は10番の差別発言に背を向ける。

そして最後まで「少年は有罪だ」と言い続けた3番の根拠は自分自身と息子との関係性によるものだった。

3番には息子がいたがその息子が子供の頃、殴られて帰ってきたのを怒り「男なら負けるな。殴り返せ」と罵った。

息子は父親を嫌って出て行った。

その体験と「暴力を振るい続けていた父親を殺した少年」とを重ね「あのガキは絶対に有罪だ」と決めつけていたのである。

 

1957年製作作品であるにかかわらず人種を理由とせず「スラム街に住んでいること、つまり被告の立場への偏見、毒親に暴力を受け続けていたこと」が問題視されているのだ。

「立場への偏見」というのは「あの学校」だとか「あのグループ」だとか様々に考えられるからだ。

今観ても変わらず興味を持ってしまうのはこうした普遍性でもあるのかもしれない。

 

「ほんとうにそんなに名作なのかな」の疑惑は「やはり名作だった」と結論しました。