
ネタバレします。
《第134話◎山本五十六》
山本五十六は前線航空基地の将兵の労をねぎらいたいとして視察に赴いた。
南東方面艦隊第十一航空艦隊参謀三和義勇を見舞った。
さらに翌日ブーゲンビル島ショートランドへ。
そうした山本の足取りを示した暗号文はハワイ州第14海軍区司令部HYPOで読み取られていた。
米軍は山本五十六の日程を掴んでいたのだ。
《第135話◎鴨の中の孔雀》
司令長官チェスター・ニミッツは「獲物袋の中にとびっきりの孔雀が交じっていた」と部下に告げた。
昭和18年(1943年)4月18日。
同年5月アッツ島守備隊玉砕
同年10月学徒出陣
昭和19年(1944年)インドとビルマ(ミャンマー)の国境地帯
メイミョーからインパールまでの全長470kmアラカン山脈を通る過酷な道のりで兵站をどうするのかという問いに牟田口は妙案があるとした。
人呼んで”ジンギスカン作戦”
部隊ごとに牛二頭、ヤギ、ヒツジ六頭を連れて行き現地に着いたら食べる、というのである。
ビルマ方面軍司令官河辺中将に認可を求めた。
首相官邸の東條英機は「三週間以内でインパールを攻め落とす」というこの作戦を聞き「これで東條内閣への全国民の信頼を再燃させることができるかもしれない」と考え首相としてインパール作戦を認可した。
が、牟田口本人はこの作戦に同行しなかった。
そして日本兵五千人が名誉の戦死をすればインパールは必ず日本のものになる、と説いた。
《第136話◎日本国民全員の希望》
陸軍大本営ではインパール作戦に対し「こんなバカげた作戦はやめるべき」と言う声もあったがその声は抑えられた。
チンドウィン河
メイミョー第15軍司令部
司令官牟田口廉也に電文が入った。
牛、羊のほとんどがあっけなく川に流されてしまったというのだ。
早く物資、食糧を送れという要求に牟田口は「食うモンがなくなったら草を食え。日本人は草食動物だ」と答え「このインパール作戦は大本営の希望だ。ひいては東條閣下の強い希望だ。日本勝利のため、日本国民全員の希望なんだ」と断言した。
鈴木貫太郎は「インパールまであと一里(4キロ)」という新聞の見出しを見てまたしても嘘を感じた。
牟田口はさらに電文でインパールまで110キロ地点で敵から待ち伏せされ一千人の被害を受けた、と知る。
「きさまら大和魂はないのか」と返信した。
さらにインパール近くのコヒマに到着し戦車と機関銃の猛攻撃を受けた、と報告される。
《第137話◎100m》
牟田口は「天長節、天皇誕生日前にインパールを攻略せよ」と打電した。
英国領コヒマ
第31師団は弾薬も食糧も尽きかけていた。
要求を打電したが牟田口の返事はにべもないものだった。
宮城で陸軍参謀総長杉山元は天皇からの質問を受ける。(その言葉は侍従長が代弁したが)
「インパール作戦の第15司令部が置かれているメイミョーでは陸軍が料亭なるものを作った。毎晩将校たちはその料亭でドンチャン騒ぎ、それは真実なのか」
「だから軍司令官(牟田口)は前線につかずメイミョーから離れないのか?」
杉元は口ごもるのみだった。
この件はメイミョーの牟田口へ大本営の命令として届き、明日前線に近いインタンギーへ向かうこととなり牟田口はその夜も料亭で騒いだ。
第33師団師団長柳田元三から戦況を訊く。
英軍の待ち伏せに遭い50日間にわたる戦闘で戦死者四千人、戦病死者二千人、まさに戦況は劣勢につぐ劣勢、とした師団長は「インパール作戦の中止」を願った。
しかし牟田口は「この作戦をどうしても成功させたいんじゃ」とし「インパールを落としに行く」と豪語した。
牟田口は兵を召集し戦う兵士たちを鼓舞した。
戦場で牟田口は「貴様らなにをしとる。前だ。100mでも前へ進め。大和魂を示せ。前だ。前だ。前だ」と叫ぶ。
兵士たちは前に進み、そして撃たれて死んだ。
牟田口の前で多くの兵士が戦死した。
大東亜戦争の中でも最も忌むべき戦いのひとつである「インパール作戦」
兵站をまったく無視したこの作戦に日本人の特徴が表れているように思える。
『昭和天皇物語』の最新刊はここで終わる。
また次の新刊まで牟田口廉也は兵士の死体の前に立ち続ける。