ガエル記

散策

『柳田國男先生随行記』今野圓輔 その4

ネタバレします。

 

小倉高女の講演と延命寺の昼食会(第六日目)ー昭和16年11月18日ー

午前11時10分前、小倉高等女学校につく。柳田先生は講堂で約十人の生徒に講演を気楽になさった。

 

「九州と民俗学」(西部朝日新聞社講堂第二日目講演要旨)ー昭和16年11月18日ー

 

カセドリについての記録あり。

 

田祭り、農作の祭り、鳥追い、モグラ追い、復活しようとしても喜びますまいが、どんな気持ちでいたかだけは知らねばならぬ、とある。

出来事だけでなくどんな気持ちだったかを知りたいという言葉に打たれる。

 

昔話を楽しみにする子供たち。酷い状態の生活からなお楽しみを作っていた昔人の中にも自分の中から出た慰安があったんだということを知っていただきたい。

現代は新しくなりすぎた。古いものを顧みるいとまもなく自分の周囲を新しくしすぎたようであります。

 

人形を使って実盛に見立てた虫追い祭り。

人々は昔から人形で想像力を引き出したのである。

 

「九州の民俗学」(武田明氏の大要速記による補遺の部)

「九州民俗学」という雑誌がかつて出たことがあった。

九州は山地がなかなか多くてそこにいろいろな古いものが残っている。半日くらい旅行するともう百年ぐらい前の生活と同じ生活をしている。

関東ではもうなくなってしまったが九州にはまだまだ面白い資料がたくさん残っている。

柳田先生は明治41年に政府の許しで九州の山村に入り初めて焼き畑というのを知る。

八代から先の球磨、霧島へ行き宮崎の椎葉村へと入って一週間生活した。

そして山の神の話を聞くがこれが東北秋田県の根子のマタギの語りと同じ話がある。この狩人の伝承の一致はいかなる理由によるものか。

もうひとつ、椎葉では狩人が山にはいる時にヲコゼを持って入るという。そうすると獲物がたくさんあるのだ。

これは山の神がヲコゼが好物だからなのだ。

(これは他で聞いたのだが、山の神は女性でしかもあまり美しくないので醜いヲコゼを持っていくと大変喜ばれるらしい)

 

信仰はかなり大きな人生の指導力である。そしてそれはひとつの文化現象である。

 

 

小倉から熊本の宿へ(第七日目)-昭和16年11月19日ー

上々の天気。七時半朝食。八時四九分、小倉を発つ。

十一時八分、二日市着。ハイヤーでなくバスで太宰府へ。梅ヶ枝餅一個三銭なり。

昨夜、夕食にと作ってくれたパンをここで食べる。先生は茹で卵を一つ召し上がった。茶代を入れて二円也。お土産にと竹製の小さい玩具の下駄を、お孫さんにと買われた。

大宰府で広い境内を見る。

筑後川を渡る。

カササギを見て「この辺にきりいないんだよ」

大牟田につく。ごみごみして兵隊のたくさんいるところだ、とある。

丸の中にヤ、というデパートに入る、とある。松屋デパートなのだろうか。ここでふたりはコーヒーとフルーツを頼む。

「これはチューリップのコーヒーらしいね」と先生。

(チューリップのコーヒー、とはなんなのだろうか。以前タンポポコーヒーというのがあった、という話は聞いたことがあるがチューリップでもできるのか?タンポポコーヒーは焙煎したタンポポの根から作るらしいがチューリップの球根から?その根から?検索したがわからなかった。というか毒じゃないのか)

先生はのんびりと楽し気だ。

 

四時五分の汽車八代行きに乗る。

「これが雲仙だよ」

初めて見る有明の海。

 

真っ白の制服を着た女学生をたくさん乗せた門司息の電車と高瀬駅ですれ違う。ハゼの葉が赤く鮮やかだ。

肥後伊倉を過ぎイチョウの葉がすっかり黄葉している。

”木の葉”という珍しい駅がある。西南役の田原坂激戦地のある所と名所案内に出ている。

熊本市に着く。

圓輔くん、風邪をひいてしまったようだ。

 

熊本から長崎へ(第八、九日目)-昭和16年11月20、21日ー

先生のいいつけで午前中、熊本城、水前寺公園などをひとりで見物。

一時から熊本医科大学で講演。

”群と道徳”という演題で「昔の道徳と今の道徳」「忠孝などの文字が無い時でもそんなモラルがなかったと考える人はあるまい」(そうかな?)「法律にあらざる群の一員としての道徳」「諺」「村ハチブ」などの話。

三時十分に終わる。

先生が医大から招待され圓輔くんはひとり街の見物散髪、お汁粉を食べて帰る。風邪重し。

(なんとなくマスクや手洗いをしてないからじゃないかと思える)

11月21日は朝から小雨。九時二分佐賀線経由長崎行き。

先生は昨夜静養軒に襟巻を忘れてこられたので電報を打っておく。

十一時三分矢部川着。

同三十分発佐賀行きのガソリンカーに乗る。(ディーゼルのことかな)嫌なにおいがするらしい。さかんに方言で話している、とあるw

正午筑後川を渡る。河幅広く、帆船多し。

一時十五分、佐賀に着く。待ち合わせ時間四十七分。

「パンもお菓子も何もない。煙草だってない。佐賀ってとこはもともと質素なところなんだよ昔から。服装を見てもわかるだろう。靴だって履いている人はいない」

これは待合室での八つ当たりの話だ。

 

ここで圓輔くんはかなり強く柳田先生からおしかりを受ける。

カメラを持ってきてるのにしまっているので良い所でまったく撮れていないじゃないか、というのだ。ごもっともである。今ならスマホですぐとれるのだが。

人々の会話も聞いていないし、稲を積む形も気にしていない、と怒られる。

圓輔くん恐縮するばかりである。

が、やがて先生は「食堂がすいてるよ」と汽車の食堂に向かった。

ビーフカツとカレーライスを食う。パンもご飯もないのでやむなく食ったカレーライス、らしい。カレーライス好きじゃないのかな。

果実とコーヒー。

珍しくこれは美味しかったらしい。初めて褒めている気がする。

柳田先生がたばこを買ってお釣りを取らない、という方式を圓輔くんは「外国式」と思い聞きたかったがまた怒られるようで聞けないのだった。

 

諫早で随分客が降りるので柳田先生不思議がる。

汽車がずっと海岸を走る風光明媚と圓輔くん感心する。

蜜柑がたくさん生っている。

三時三十分、小雨ふる長崎に着く。

ハイヤーで炉粕町七、諏訪荘旅館(経営者、田中ヨネ)に着く。

圓輔くんの同級生永見くんの一家である由。

夜の長崎の眺めは灯がいっぱいについて夢のように美しい、と書かれている。