ガエル記

散策

『蟲師』漆原友紀 その1

蟲師』アニメもうっすら見てて原作マンガもなんとなく眺めてはいたもののしっかり読もうとするのは初になります。

読もう読もうと思いながらなかなか読めず先日から「民俗学」にはまりこんだためついに決心しました。

 

ところがこれがやはりなんとも形容しがたい。

昨今は男女差を比較するのが難しいですがやはり私には諸星大二郎作品は語れても女性作家のものはなかなか表現できない気がします。

しかしそれこそ修行なのかなと取り組んでみます。

 

ネタバレします。

 

「緑の座」

冒頭に「蟲」という言葉が登場し「このイメージに入り込めそうで入り込めなかったんだよなあ」と思う。

作者氏は「幽霊も妖怪も信じ切れずにいてしかしいたらいいなあという気持ちが“蟲”という形になった」と語っているようにこの「蟲」は存在するわけではない。

だが昔から「虫の居所が悪い」とか「悪い虫に取りつかれた」とか「虫の知らせ」とか日本の言葉にはなぜか「蟲」がいるかのような表現があるわけだ。

それを考えれば「蟲」は幽霊や妖怪よりも確かに存在する気がする。

 

四角い箱を背負い(今となっては『鬼滅』の箱と形容されるだろう)ギンコが山を登って来る。

異様なほど鮮やかな緑の山だという。

 

生来、生命を呼ぶ体質の人間がいるという。

ここでは左手で筆を持ち描くとそれが紙から飛び出して生命を持ってしまう、という特質の少年が登場する。

これはもう絵を描く人を表現している。

現在ではマンガ家が多くそうした体質であるとしか言いようがない。

むろん「上手い人」もいれば「下手な人」もいる。

「上手い人」が描けばその人物は生命を持ち、生きている人間たちに恋愛感情を持たせてしまうではないか。

その人間たちにとって描かれた絵がそばにいる人間以上に艶めかしくささやくのだ。

 

そして本作では少年ー五百歳(いおろい)しんらによって文字さえも生きて飛び出す。

 

ギンコがしんらに「蟲」の説明をする。

手を見せ親指を植物、他の四本は動物とすれば”ヒト”は中指の先端だという。

手の内側に行くほど下等な生物になっていく。

手首当たりで血管が一つになる。ここらにいるのが菌類や微生物だ。

このあたりまでくると植物と動物との区別をつけるのが難しい。

が、まだまだその先がある。

腕をさかのぼり方も通りすぎ、そしておそらくここらへん(と胸(肺?)を指さして)にいるモノたちを「蟲」あるいは「みどりもの」と呼ぶ。

「生命の原生体に近いものだ」

そのものに近いだけあってそれらは形や存在があいまいでそれらが見える性質とそうでないものに分かれてくる。

 

とても興味深いのだがここらの表現あるいは演出が曖昧な感じがあってゆるく語られていく。

それがこの作品の弱いところでもあり逆に真面目なところでもあるのだろう。

私はそこにいまいち乗り切れずにいたのだが今回は無理矢理に入り込んでみようと思っている。

 

ギンコとしんらは自家製の果実酒をともに飲みかわし親しくなる。

しんらが酔い眠ってしまい、ギンコはひとり家の中を歩く。

天井に童女がぶらさがるようにいてギンコをからかうがギンコは煙草の煙を吐きつけて童女をからめとる。

童女から半分に欠けた盃が落ちた。きれいな緑の盃だった。

ギンコは童女が「廉子」ばあさんだと見破った。

 

それは四年前に亡くなったというしんらの祖母であった。

ヒトと蟲の中間のモノとして存在するとギンコは伝えた。

「蟲の宴」という現象がありヒトはそこで盃を渡される。そしてつがれた「酒」を飲み干すと生物としての法則を失う、というのだ。

しかし宴が途中で中断されたためおばあさんは蟲にならずにすんだが半分をあちら側に置いてきてしまったんだという。

 

そしてギンコは「おまえの知っているばあさんは”半分”でしかなかったんだ」と告げた。

そしておまえの力を使えばばあさんを完全に蟲にすることができる、そうすればふたりは「会うこと」ができるのだ。

 

ギンコとしんらは間に衝立を立ててしんらに左手で「盃」を描かせた。

しんらは盃を見てはいないのにそして筆には何もつけていないのに色がにじみ出てしんらは緑の盃を描いたのだった。

 

その盃は見ている前で割れ半分が消えた。

樹の上に廉子がおりそこから半分の盃が落ちてきた。

ギンコが半欠け同士の盃を合わせるとそこにはじわりと酒が満ちた。

そして童女の姿が現れたのだ。

 

さらに不可思議なエピソードが語られる。

童女であった頃、祖母は不思議なモノ=蟲によって導かれ盃の酒を飲む。

その時彼女は三十一年後に誕生する特異な性質を持つ”孫”の目付け役を頼まれるのだ。

 

廉子のその記憶を知りしんらは涙した。

その涙はとめどなく流れた。

 

こうしてギンコはその場所を後にした。

ギンコの手には緑の盃があった。

 

まあ、はっきり言ってなにもよくわからない。

この物語がなんなのか、良いのか悪いのかさっぱりわからない。

非常によく呑み込めた諸星作品とはまったく違うこの味わい。

そして読んでこなかったくせにずっと気になって仕方なかったのもなにかあるのだろう。

 

この世界はもうひとつの世界、江戸時代以後も開国しなかった日本だともいい、江戸時代と明治時代の狭間の時代だとも作者氏は書いている。

たしかにギンコは断髪に洋装、しんらと廉子は断髪だが和装、という奇妙な組み合わせになっている。

なにもかもがまがいもののようでそれこそが日本らしくもある。

よし今回はいけそうだ。

 

アニメも観たいのだが同時進行するかなあ。