
ネタバレします。
「露を吸う群」
現在ベストセラー1位になっている本の帯「コンサル栄えて国滅ぶ」の言葉を思い出させる。
そしてその本のタイトル『過疎ビジネス』というのも本作をそのまま指示している。
失礼ながら(というか金銭的問題で)上の本は未読ながらタイトルと帯だけで唸ってしまうものだ。
過疎で貧しいからこそ人はなんとかそこで生き延びようとして、いやさらにそこに住む人々のわずかに残った生き血を搾り取ろうとしてビジネスを考える。
本作においては実の娘の体に「蟲」を寄生させ生き神様として村民のわずかな食糧をも差し出させようとする「ビジネス」である。
しかしここでギンコが言う通り「どのみち奴らは長くない」のだ。
搾取されていたと気づかされた村民は「その男」を殺害する。
本作で虚しいのは少年ナギが必死で救おうとした少女あこやが生きる選択をできなかったことだろう。
この物語のもうひとつの闇があこやと他数人がかかった病というのがいわば麻薬による思考破壊だ。
あこやを救えなかったナギにギンコは「普通に生きりゃいいんだよ」と告げる。
その「普通に生きる」ことの苦痛を人は耐えるしかない。
「雨がくる虹がたつ」
前回の「露を吸う群」も他の作品も物語の設定上どうしても「普通に生きる人々」と「普通に生きられない人」の対比となり、それは私には「普通に生きる人々」と「作品(マンガとか映画とか小説とか)を作り続けずにはいられない人」=「何かを追い求めている人」の対比の比喩として見えてしまう。
本作ではそれが「虹をつかもうとして追いかける男」として描写される。
いわばよくある比喩なのかもしれないが実際に「虹を捕まえようと追いかける人」はまずいないわけでそれをマンガにしたのはなかなか凄い。
虹を追いかける男は家業である橋大工の才能が無く村では役立たずで居場所もない。見た目もぼさっとしていて冴えない。
そんな男が父の夢だったという虹探しを叶える。
その後、男は工夫を凝らした橋を造ったという。
作者に愛された男である。
「綿胞子」
なんというか、これはちょっとやっかいな話である。自分の子供が増殖されていく。
それが危険な「蟲」とわかっても殺すことはできないだろう。
最も怖い話でもある。
しかし私的にはこの作品が作者の「物語作り」の比喩として見えてしまったのでその解釈で行けばわかる。
作者は形にならない不気味な話を思いついてしまった。
それは床の下に逃げ込んでしまったのになぜか赤ん坊の形になって戻ってきた。
それはみるみる成長したがやはりうまく表情もつくれず言葉も話せない。
それは絵にもならず台詞もできないということだ。
同じような赤ん坊がまた何度も出てくる。上手くはいかないが少しずつ前より出来がよくなってくる。
言葉も話し(台詞がうまれ)仕事もできる=絵の描写もうまくなる。
だのにそれは結局出来損ないであり殺さねば=破棄せねばならなくなったのだ。
妻は怒りでギンコを刺す=編集者を殺す、つもりだったが殺すことはできないw
いくら「出来損ないだ」と言われても、作者にとってそれはもう我が子なのだから。
我が子たちは「人茸」に姿を変えて長い眠りに入る。
作品を暖めておこう。
「再生がいつになるかはわからない」
「肌身離さず持っているよ」
こうして漆原氏の『蟲師』は生まれたのかもしれない。
つい綿胞子を応援してしまった。
アニメも同時進行しています。
今更ながらアニメの出来栄えに感心するばかり。
それは