ガエル記

散策

『蟲師』漆原友紀 その9

ネタバレします。

 

「沖つ宮」

猿の手』もしくは『ペットセマ(メ)タリー』の亜種でもあるのだろうか。もうひとつ『DUNE』も加えたい。

それが漆原作になると随分やさしくなるようだ。

というか仏教もしくは日本神道キリスト教の対比なのか。

愛する「人の死」もしくは「ペットの死」を悲しみその復活を願ったことでおぞましい結果となるキリスト教圏の作品と比べ日本の作品のゆるい幸福感よ。

しかし私だけが違うのかはわからないが(いや多くの日本人もそうだと思うんだが)本作、他のどの話よりも禁忌に触れているように感じてコワイ。

なぜなんだろう。

 

結局はこの島だけの話なのがほっとする。

 

 

「眼福眼禍」

目が見えなくなるのは恐怖だが見えすぎてしまうのも恐怖なのだ。

 

巻末で作者漆原氏の「目が見えなくなることへの恐怖でそうした話が多くなってきた」という言葉が気になる。

確かに目にまつわる話が多い。

 

目が見えなかった主人公・周(あまね)は父が手に入れた目玉に棲んでいた蟲によって目が見えるようになる。

だがその視力はやがて人の域を超え遠い世界まで見えるようになり疲れた彼女が瞼を閉じると今度は未来が見えるようになったのだ。

千里眼と恐れられた彼女は友人を失う。

さらに周は父の死を見て琵琶を弾き語る旅人となった。

 

旅の途中で周はギンコと出会う。

周は自分の目が近く自分から離れることを知った。

周はギンコにその目玉が二度と人の手に渡らないよう埋めてくれと頼んだ。

 

周の目は再び何も見えなくなった。

が、彼女はせいせいしたかのように琵琶を背負って旅を続ける。

 

「失うのが怖い」と書かれているわりには肝の据わった結論である。

 

「山抱く衣(ころも)」

 

絵を描くのが好きな主人公・塊(カイ)は優しい姉から羽織を縫ってもらい絵の修行へ行く。

下働きで絵を描くことのできない塊はその羽織の裏地に故郷の山を描いた。

師匠がその絵に気づき塊は腕を認められ画室に上がることを許される。

それからの塊はひたすらに絵を描き続けその名は高まり仕事は引きも切らず塊は寝る間も惜しんで描き続けた。

時折くる手紙にも目もくれなかった。

が、突然塊は身体の不調を感じ寝込む。

姉の心配する声が聞こえるようでたまらなくなった。

故郷を離れ十年が経っていた。

 

塊は故郷の家へと向かう。

 

が、そこは三年前の地滑りでなにもかもなくなっていた。

父は死に嫁いでいた姉は翌年赤子を産んで死んでしまったという。

赤子は近所の老婆が預かってくれていた。

老婆は何度か手紙を出しておまえに助けを求めたが返事はなかった、と悔やみ言をいった。

 

塊はもう絵を描くことができなくなった。

故郷の山も元の山ではなくなった。

しかし塊は周囲からの白い目にさらされながらも故郷の地に住み畑仕事をした。

老婆が死に、塊は姪であるトヨを引き取った。

 

故郷の山が次第に元の山のように感じられてきた、ある日、塊はギンコに出会う。

ギンコは塊が以前描いた羽織を持っていた。

塊はその羽織を売ってくれと頼む。

ギンコはその代わりに、と塊に別の羽織に同じ山の絵を描いてくれという。

もう絵は描けない、と思っていた塊だったが再び筆を取る。

その絵はすばらしい山の絵だった。

 

やや教訓めいてはいるものの良い話である。

 

 

「篝野行(かがりのこう)」

この表紙絵、かっこいいではないか。

 

お話はなんとなく昔風(?)というのか。

めずらしくギンコが執拗なほどにとある村に関わっていく。

ちょっと左翼的な女性が村人を操作していく感じである。

もしかしたら白土三平風なのか。

最後はギンコががんばった女性を救い生きながらえた女性は時の過ぎゆくのを待つ。

 

 

「暁の蛇」

物忘れがひどくなった母を案じるまだ幼い少年のお話。

忘れてしまった方が幸せでもある、という話。

 

いやこれまじでそうかもしれない。