
ネタバレします。
「潮わく谷」
実はこういうひたすらに頑張る人の話が苦手である。
「キライ」とかそういう冷静な感じではなく「ヒュッ」とするような寒気を感じてしまうのだ。
とはいえそのこと自体物語で描かれていてギンコはそれを制止しようとするのを男は理解して続けるのだからどうしようもないのだろう。
漆原氏の小話に「段々畑に感動する」というのがあったからそこからの発想であの物凄く美しい畑を作り上げるにはこのような話があったのではないか、となったのだろう。
7巻ではどうしても息子を愛せなかった母が登場したがこの物語は愛しあう夫婦の中で作られている。
それなしにはあり得ないのだろう。
「冬の底」
一転してとても気持ち良い話。
といってもギンコにとっては気持ちよくはないだろうが。
もうすぐ春が来るという時期にひとり山に入ったギンコは山の中に閉じ込められてしまう。
それは山のヌシがギンコの持つ光酒を奪おうとしての計略だった。
数日眠りについて目覚めれば春が来ているだろうというギンコの目論見は外れ目の前には前にもまして雪が降り積もりどうあがいてもギンコは山から出ることができなくなる。
底なし沼にはまったギンコは光酒の入った箱を山に奪い取られてしまう。
沼から上がった時、すでに光酒は颪笛にたかられていた。
そして山が開いた。
颪笛は高らかに舞い上がったのだ。
今度はあっさりとギンコは山の外へと出る。
「隠り江」
𦨖(かいろぎ)=妖質の豊かな者の意識に棲み主と同調し自由に水脈を往来し望む相手に思いを届けることができる”蟲”である。
お嬢さんのゆらと女中だったスミはそれによってつながれていた。
なにもかもスミに頼りきりになった娘ゆらを見て父親はスミを解雇した。
だが、ゆらはスミを忘れることができず魂が抜け出たようになってしまう。
それを見たギンコはゆらに𦨖が巣くっているのを感じ「二度と意識が戻らなくなってしまう」危険性を伝え妖質を一時的に枯らす薬を与えた。
ゆらは薬を飲まずスミへの思いがつのり苦しむがかろうじて助けられる。
最終的にゆらは現実的にスミに会いに行くことで蟲の禍から逃れるのだ。
牧歌的なお話である。
「日照る雨」
雨を連れてくる女の話。
そこにいると必ず雨が降るためひとところにいるわけにはいかず、しかし日照りで困窮している場所に行けば喜ばれる。
泣くことができない彼女のその涙は雨となって降るのだ。
いつか涙が出るまで雨をともに雲のように流れていこう、と決意する。
決意する女は強い。
「泥の草」
こちらは反対に上手く関係性を保てなかった物語。
この兄弟、どっちもどっちなんだけど。
兄の娘をうっかり死なせてしまいそれを隠してしまった弟。
弟を殺して隠しその息子を可愛がって育てた兄。
不気味な因果が草になって体に寄生した。
生きていくことは難しい。