ガエル記

散策

『ぼくとフリオと校庭で』諸星大二郎 その2

 

ネタバレします。

 

「沼の子供」漫画アクション増刊「スーパーフィクション11」(双葉社)1982年9月

メキシコと思しき山の中、まだ何も知らず沼の中で幸せに生きているアダムとイブ(をイメージさせる若い男女)に知恵(缶詰と衣服)を与えてみるセニョール。

男は動かなかったが女は興味を示して缶詰の肉を咥え衣服を手にし、さらにセニョールの胸ポケットにあった写真付きの手紙を見て嘲笑しながら歩き去っていく。

 

その手紙の写真はニューヨークを写したものだった。

 

しばらくしてハリウッドに突然現れ様々な要人と次々にスキャンダルを起こした女はその沼の女に似ているとセニョールは思ったが事実はわからない。

沼に取り残された男の方は地元の牧童として雇われたが誰とも馴染めずやがて元の沼で死んだ姿が発見された。

 

なんとも言えない不思議な物語だ。

結論はわからないが一時非常に人気となったラテン文学(最近も『百年の孤独』で話題となった)の影響を受けた物語なのではないかと思っている。

幻想と現実が入り混じるファンタジーである。

 

 

 

「流砂」漫画アクション増刊「スーパーフィクション10」(双葉社)1982年6月

進撃の巨人』はこの作品から発展したものではないかと思っていたりする。

 

そういう考えは別としても「何の刺激もないつまらない田舎町」から旅立とうとする若者に様々な邪魔が入る、という発想がおもしろい。

 

かといって旅立った若者の行き先として「結局野垂れ死ぬ」「途中であきらめて戻る」「ついに別の町にたどり着くが同じような町だった」などの鬱な展開も見えてくる。

その手前で終わるのはやはり正解だろう。

 

 

 

「黒石島殺人事件」漫画アクション増刊「スーパーフィクション12」(双葉社)1982年11月~

短編でよかった。

 

とある小さな島で殺人事件が起きる。

本土から刑事が到着し島の人々から説明を受ける。

 

と、マンガなのでここに若い女性の全裸死体が描かれていることから「殺人事件」が起きたのだと思い込んでしまうがそれはいわゆる「状況説明のための描写」なのだ。

島民は刑事にその死体は幸江で犯人は彼女に付きまとっていた佐吉に違いない、島のどこかに隠れているがすぐに見つかるだろうと告げる。

だがその死体自体はすでに埋めてしまったのだという。

九月の暑い日のことだった。

 

その後、カツ子という娘がいなくなったと母親が知らせさらに場は騒然となる。

犯人と思しき佐吉がカツ子まで殺したのか。

だがそこに一本の電話があり幸江と佐吉ふたりが駆け落ちしただけだった、とわかる。

さらにカツ子は沢で足をくじいて動けなくなっていたのを助けられてきたのだ。

 

刑事は叫ぶ。

「じゃあ被害者は誰なんだ」

島民は話し合い「どうもその、わしらは勘違いしてただけかもしれない。この事件はなかったことにしてくれんか」と言い出した。

「とにかく暑い日で皆ぼーっとしていたのだ。皆頭が混乱して」

 

埋めていたはずの死体も台風で流されてしまった。

もうなにもかもわからない。

 

 

「城」~コミック・アクションキャラクター(双葉社)1990年12月

昔多かった「たらいまわし」のお話である。

本作も純朴そうな青年が犠牲になっていく。

西王グループの城下町にある超高層ビル「西王ビル」へ書類を届けにきた主人公だったが規則、規則で仕事は先へと進まない。

が本社からは「決済を貰うまでは滞在しろ」と命じられ毎日ファクシミリの前で待機することとなる。

主人公はそこで女性と出会い結婚し子供が生まれその子が成長し同グループの鉄工所に勤務することが決まったその日に死亡した。

ファクシミリから「決済がおりたので十五階の総務部までおいでください」という報せが送られてきた。

 

これも一種の民俗学のような気がする。ぐるぐるぐるぐる回され一生を終えるのだ。