
ネタバレします。
2章 ルーツ信仰としてのシャーマニズム
1 シャーマンとシャーマニズム
ここで我々にはすっかりなじみとなった「シャーマン」という言葉が19世紀ブリヤート人学者ドルジ・バンザロフによるとトゥングース語の「サマン」に由来するというのが定説になっている、と書かれる。
また「シャーマン」を世界に普遍的な宗教職能者であると唱えたミルチャ・エリアーデ以降エスニックタームであった「サマン」あるいはそのロシア語訛りである「シャマーン」は英語圏にはいって「シャーマン」とアクセントの位置が移る。
日本におけるシャーマニズム研究は柳田國男や折口信夫ら民俗学者によって創始された「ミコ研究」がその起源であることは間違いない。
「シャーマン」という表記を最初に行ったのはエリアーデの『シャーマニズム』の翻訳者堀一郎である。堀は『日本のシャーマニズム』においてシャーマンを呪的カリスマとし、シャーマニズムを人類のもっとも古代的原初的な宗教の本質構造を持つものとしてとらえた。
シャーマニズムは宗教現象を語る上でのマジックワードへと変貌していく。
1981年1月シンポジウム「シャマニズム」の総括においてシャーマニズム研究における問題系を次の八点に整理した。
①系統論と自生論
②類型論
③構造論
④本質論
⑤複合現象
⑥霊魂観
⑦音楽・芸能
⑧用語
このシンポジウムの成果は、1980年代初頭日本のシャーマニズム研究における到達点であり以降日本のシャーマニズム研究は大きく進展する。
しかしながら研究者によって構築された「シャーマン」像は近年人類学においてはその概念の使用そのものを含めて脱構築されつつある。
本書では「シャーマンは「脱魂型」か「憑霊型」かの区別をあえて避け「超自然的存在と直接交流する人物」にとどめておく、とされる。
2 モンゴル・ブリヤートにおけるシャーマン
ポスト社会主義時代に活性化したモンゴルブリヤートのシャーマニズムには三種類の宗教的職能者が存在する。
黒のシャーマン「ボー」白のシャーマン「バリアーシ」呪術的鉄鍛冶職人「ドルリグを持つ者」である。
ブリヤート共和国の歴史学者チミットドルジーエフによって編集出版された19世紀のマニュスクリプト集「ブリヤートの歴史史料』がある。
この書にはホリ・ブリヤートやアガ・ブリヤートの起源や歴史あるいは伝承などについて19世紀の貴族やラマたちが書き残したものが集められている。
特にシャーマニズムについてはホリ・ブリヤートのサガーン氏族の長であったワンダン・ユムスーノフという人物が精霊やテンゲルと呼ばれる天空神、儀礼次第についておよそ10ページにわたる記録を残している。
「白いシャーマン」は善神を拝み人間に幸福をもたらす神々に祈ることで人間を助ける。
「黒いシャーマン」は悪霊、悪神に祈ることで人間に災厄をもたらす。
黒シャーマンのほうがむしろ起源的なシャーマンであり「白」は貴族階級の独自の宗教を生み出す試みだったとされる。
かつての遊牧文化における氏族社会においては貴族が「白い骨」を持つものであり庶民は「黒い骨」を持つものとされた。

「黒のシャーマン」は「白のシャーマン」を兼任することもあるが「白のシャーマン」は「白」のみの存在である。
「ボー」は精霊を憑依させることで託宣を行う。
「オンゴ」とは「ボー」に憑霊する近しい存在であり「テンゲル」は「ボー」に憑霊しない遠い存在である。
ボーはいかなる儀礼をおこなう時もオンゴド・テンゲルに対する祈祷詞を唱えて呼び寄せる。
これをオンゴド・テンゲル・ドーダハという。ドーダハとはモンゴル語で「呼ぶ」の意味である。
最高位の男性ボーの名称をザーリンあるいはザイランといいオトガン(女性)の最高位をドーリスガという。
ボーの衣装はシャーマンの位階によって異なる。
位階の高いボーはヌムルグ(覆うもの)とは別に鹿の毛皮で作った上着を持っている。この上着は「硬いもの」すなわちシャーマンにとって御しがたい強い聖令を憑依させる時に着る。
必ずマイハブシと呼ばれる黒っぽい丸帽子をかぶりボーの顔が隠れるように前部に黒の紐の束が垂れている。額の部分には眼が縫い付けられておりこれがシャーマンの祖霊たるオンゴの眼なのだという。
位階の高いボーはマイハブシの上から鹿の角を模した枝分かれした角のついた鉄製の冠を被る。この冠はオルゴイ・アミタイとよばれる。
左手にはペンチや金槌のミニチュアが結び付けられ鉄の棒を腕にぶら下げる。
憑霊の崔には両手に二本の鉄製の馬頭の杖を持つ。
頸には真鍮製の直径10~20センチの鏡をぶら下げる。魔除けである。
オルゴイ・アミタイ(鉄の兜)や革張りの太鼓、イヒ・アミタイといった皮や鉄、木で作られるものに関しては呪術的鉄鍛冶職人であるドルリグが製作する。
ボーが行う諸儀礼は「ボーロン」と称される。
シャーマンの職能に関していうならばボーは人々にとって身近な霊的相談者と言える。
すなわち家畜泥棒探しや仕事がうまくいかない時など人々はボーに憑依した精霊オンゴに訪ねるのである。これに対してシャーマンに憑依した霊は人々にふりかかる災いや病気の程度が強い場合その原因を「ルーツ」すなわち先祖の霊や知識と結びつけて説明する。つまり精霊たちは「ルーツを知らないと災厄が起こる」という説明を人々に与えるのである。
したがって「ルーツ探し」はボーの職能の中で最も重要なものとなっている。
そしてぼーは祖霊たる精霊オンゴの口を通して親戚を捜したり「忘れられた」先祖の名前を教えたりする。
相談者の中で「病状」の特にひどい者に関してはルーツによって定められたシャーマンになるべき運命の人物だと判断される。
ボーはモンゴルブリヤートの人々にとって《ルーツの探究者》としての属性を強く持った姿で立ち現われているのである。
「バリアーシ」とはモンゴル語でマッサージ師あるいは接骨医を指す言葉「バリアーチ」のブリヤート方言である。
「バリアーシ」とはもともと「体を掴む者」という意味であり遊牧民にとって骨折や脱臼の治療を施すことは必須の技術だった。
それに対してモンゴルブリヤートの「バリアーシ」は異形の呪術医である。
バリアーシは白の側の者でありボーに比べれば軽装で顔を覆う紐も白だったりする。
またバリアーシは一部例外を除きオンゴを憑霊させたりもしない。
チベット仏教のラマが使うて鳴らしの鐘を右手に持ち数珠を持つ。数珠は占いに使われる。左手にはバイグという龍頭の白い杖を持つ。
口琴は白の側の呪術道具だが形式的に少しだけ口に当てて鳴らす。
ボーに浄化儀礼「オガールガ」があるようにバリアーシも白のオガールガを行う。
黒のオガールガが黒石を焼くのに対し白は白石を焼く。
また黒の儀礼では乾燥させたガンガ(タイム)を浄めのお香として使うのに対し白ではアルツ(ネズの葉を乾燥させた粉末)を使う。アルツは仏教儀礼でラマが使う香である。
モンゴルブリヤートの人々はボーやバリアーシの呪術道具を作る特別な鉄鍛冶を「ドルリグを持つ者」と呼び特別な衣装を着ることはないが様々な儀礼をおこなう。
現在のモンゴルブリヤートにおける「ドルリグを持つ者」たちはたいてい定住者であり鉄鍛冶小屋を持つ。この小屋に女性が入ることは許されない。
つまりボーやバリアーシと違い女性のドルリグはいない。
また鉄鍛冶職人たちは呪的な鉄鍛冶道具を祭る儀礼「ドルリグ・タヒハ」を一年もしくは三年に一度行う。
これを司るのはボーである。ドルリグを祭る時、赤毛のオスヤギが供儀に出される。
盧の中で真っ赤に焼いた鉄の棒を舐めることで呪力を顕示すると同時にその鉄棒をクライアントの体の悪い部分に当てることで治療を行う。