
ネタバレします。
2章 ルーツ信仰としてのシャーマニズム
3 イニシエーション、あるいはブリヤート文化の再学習
「カッコウが鳴くと、ボーの季節が始まるのだ」
シャーマンの儀礼の多くは夏から秋にかけて5月~8月にとり行われる。
(9月は冬なのか)
一番大規模な儀礼が「シャナル」「シャンダロー」だ。
「シャナル」=黒のシャーマン、ボーのイニシエーション。
「シャンダロー」=白のシャーマン、バリアーシのイニシエーション。
「シャナル」は帝政ロシア末期から変遷を遂げながらも現代に継承されている。しかし社会主義時代これらの儀礼は殆ど実践されてこなかった。したがって儀礼について弟子となるシャーマン候補を含めて知らない者も多くシャーマンの指導の下儀礼に参加することで人々は儀式次第やブリヤート文化に関する知識や身体技法を再獲得していた。
すなわち現代のシャーマンのイニシエーションはアガ・ブリヤートの人々にとって社会主義時代に失われた民族文化の”再学習の場”となっているのである。
「シャナル」とは「品質」を意味する。この儀礼を執り行うことを「シャナル・ヒーヘ」と表現する。「ヒーヘ」は「する」という意味のほか、何かの容器にものを「入れる」という意味でもある。
つまり「シャナル・ヒーヘ」とはシャーマンとしての「品質」を「入れる」イニシエーションといえる。
この語源は古トルコ語の「いのち」「たましい」であるという。
「シャンダロー」は民主化以降の宗教復興の中で作られた儀礼である可能性が高い。
「シャナル」は白樺の気が緑の葉を茂らせる夏に行われる。その目的は精霊を憑霊させる技術を獲得することにある。
この儀礼は二年に一回、あるいは毎年繰り返し行われ、回数を踏むごとにシャーマンの霊的能力及びその位階があがっていくものだとされる。
そうして十三回のシャナルを行うと最高位のシャーマとなる。この最高位の大シャーマンを男性の場合はザイランあるいはザーリン。女性の場合はドーリスガという。
儀礼は前日に森からとってきた白樺の木々を占いで定められた草原に植えて「儀礼の森」を作ることから始まる。
この人工の森は「シャナルの木」と総称されている。
はじめに師匠ボーの占いか託宣によって定められた森から定められた日に気を切り出す。天空神テンゲルや精霊オンゴたちの祝日には木の切り出しはタブーである。
木を切る前には森の主に許可を求める祈祷をする。
ミルク茶、イデー(バター、生クリーム、凝固ヨーグルトなどの乳製品とビスケットなど)アルヒ(ウォッカ)牛乳の四品が超自然的存在に対して捧げものとしてふりまかれる。この行為を「地を乞う」という。
木を伐採した後には米やキビをまき再生を願う。
こうして切り出してきた木にはそれぞれ名称がある。
一番大きな木は「巣の木」で中央に位置する。
西から「父の木」「巣の木」「母の木」となる。
次の列には「ザラムの木」=招きの木。ボーのオグ(先祖シャーマンの霊)はザラムの木にまず一緒にやってくるのだという。いわゆる精霊の人間界への入り口である。
その南には同じ背丈の木々が整然と行列を汲んで植えられる。ある事例では三行✖三列であった。これらをデルベルゲという。それぞれのシャナルによって九の倍数で増える。
植えられた森には赤や黄色、青や水色の布切れで飾り付けが行われる。
儀礼の参加者全員で行う。蒼天の下、大人も子供もいっしょになって祝祭空間が作られていく。
森の一番北に位置する「巣の木」には一番手の込んだ飾り付けが行われる。
羊毛で作られた「鳥の巣」がとりつけられ、九個の金の卵が置かれる。これは小麦粉を水で練って作った親指大の卵型の団子に金粉をまぶしたものである。さらに森の動物たちをかたどった布が縫い付けられる。木の上からノウサギ、ノロジカ、リス、イタチ、テン、の順で枝に結び付けられる。
これら五個の動物の形をした布の飾りを「ホショート」という。オンゴや天空への捧げものである。
最後にセレグの木を除くすべての木の梢が赤い一本の糸で連結される。意図は儀礼用天幕の天窓を通って天幕内部に設けられた祭壇につなげられる。
こうして森の飾りつけは終了する。
これに半日から一日が費やされシャナルの儀礼自体は翌日の朝から始められる。
儀礼が始まる。
天幕の奥には祭壇画あり供物がならべられ、バターの灯火に火がつけられる。この火はシャナルがおわるまで消されず「供物係」とよばれるブリヤートの民族衣装の正装をした男によって管理される。
供物をささげられる主である超自然的存在は図像として祭壇に飾られていない。例外的にフェルトのポシェットがぽつねんと祭壇中央に置かれている。この中には「ホイモルの女房つまりアガ・ブリヤート全体で信仰されている女性オンゴが入れられている。
ボーは帯をとり女性を隠喩する姿をとる。
浄めの儀式が終わると師匠ボーは弟子と共に祭壇にむかって腰掛、シャーマンドラムを叩き鳴らしながら天空神たちに対する祈禱歌を歌い始める。ときおり参加者はメロディのついた定型フレーズをユニゾンで合唱する。
実際にボーに憑霊するのが「オンゴと総称される政令である。まずはボーに共通する精霊「マンジライ」「アバガルダイ」「ホイモルの女房」の祈祷詞を唱える。この時点で憑霊はない。
儀礼は実に細やかな規則にのっとり行われていく。動物の供物が羊の解体で始まるのはさすが遊牧民の儀礼である。
日本の神道の儀礼では動物といえば最初から死んだ鯛が供物になっているのがせいぜいだと思う。
そっして供物は叙品階梯があがるごとに羊から馬そして鹿へと変わっていく。
価値の高い動物が供儀となっていく。
現在ではしきたりはあいまいになっていくがこの場ではしきたりの「理想型」が恐ろし程の正確さを持って具現化する。
「私たちは社会主義の間にブリヤートのしきたりというものをすべて忘れてしまった。知らぬことを知らせしめ、認識せぬものを認識させたまえ、仏たちよ」
「マンジライ」は「歌の好きなオンゴ」だとされる。
全員に「ブリヤートの歌を歌え」と命じる。
これもまた再学習に他ならないだろう。
マンジライとアバガルダイという精霊たちはシャナルの儀礼次第がまちがっていないか、伝統通りに行われているかを監督するのが役割らしい。
次に師匠ボーが自身の精霊オンゴを憑霊させる。
シャーマン候補(弟子ボー)に災厄を与え苦しめ召命した精霊オンゴの正体を師匠自身の精霊オンゴに尋ねることで明らかにするのが目的である。
この精霊オンゴは弟子の先祖霊である。彼らのルーツ霊ということができる。
ただしシャナルの回数が二回目以上であるときは一回目で明らかになっているので弟子ボーが直接自らのオンゴを憑霊させる時もある。
興味深いのは二回目以降のシャナルにおいても師匠ボーのオンゴによる託宣で弟子ボーの新たなオンゴが見つかっていた点である。
オグ(精霊オンゴ)はシャナルの回数を経れば経るほど増えていくのである。
失われた、あるいは途切れてしまったかつての儀礼を復活させることが民族の再学習になる、ということについて想像する。
現在の私たちにも薄れているとはいえ様々な儀礼しきたりがある。
場合によっては無くしてしまったほうがいいものもあるのだがそうしたしきたりが自分たちのつながりを生んでいるのもまた事実である。
そしてそれらが一時的にほんとうに失われてしまった時、再学習をしたいと願うのだろう。