
ネタバレします。
2章 ルーツ信仰としてのシャーマニズム
4 ルーツ化する精霊たち
モンゴル世界において神とは神格化した天空そのものであった。
現在、アガ・ブリヤートのシャーマンたちに共通して信仰される神として”オイホン13公”が上げられる。この神はバイカル湖の西岸に位置する聖地オイホンの13人の主であるとさっれう。
シャーマニストたちは願い事をする時、ドルノド県から西北に位置するバイカル湖の方角を向いて13公に乳製品やクッキー、酒などを振りまいて祈るのである。
他には白い鍛冶職人の神「ダルハン・サガーン・テンゲル」赤い炉の神「ヒハン・オラーン・テンゲル」「ダムディン・ドルリグ」の三柱である。
20世紀初頭にモンゴルに移住したモンゴルブリヤートたちの間でバイカル湖を「民族の故郷」とする象徴化作用が起きたのだろう。
神に対して一般的に「精霊」と訳される存在を「オンゴ」あるいは「オンゴン」複数形で「オンゴド」という。
かつてシベリア狩猟文化圏では山河や森の主、動物霊、死者の霊といった精霊が木彫りの神像として形象化され崇拝対象とされてきた。
現在のアガ・ブリヤートでは精霊のことを「オンゴ」と呼ぶ。彼らのオンゴは二種類に分けられる。
ひとつはアガ・ブリヤートのシャーマン(この場合は黒のシャーマンであるボー・オトガン)が共通して憑霊させるオンゴであり、もうひとつはシャーマン個人によって異なる個別のオンゴである。いずれの場合にせよ、現在のアガ・ブリヤートの精霊たちはルーツと深く結びついた存在に特化している。
共通する三人の精霊は次のようなものである。
「アガバルダイ」男性の精霊でブリヤート全体の祖霊である。酒とたばこで身を持ち崩し妻に斬り殺されたという伝承を持つ。このオンゴは真鍮製の仮面という形で形象化される。仮面は髭面の男で口には羊の脂身を咥えている。
現在のアガ・ブリヤートにおけるアバガルダイは羊の尾の脂身をくわえている。一般的に遊牧民は赤子に脂身をしゃぶらせて育てる。モンゴルブリヤートの間では”赤子のような食事をとる精霊”となっている。
「マンジライ」男性の精霊でありシャーマンたちのすべての儀礼を司る。天から降臨した美青年でブリヤートの娘を妻にして連れ去り天へ帰ってオンゴとなったという。
ボーのイニシエーション「シャナル」において師匠シャーマンは必ず最初マンジライを憑霊させる。このオンゴは形象化されていない。
「ホイモルの女房」天幕の上座たるホイモルに座する女性の精霊である。この精霊はアガ・ブリヤート人「全体の母」であり「子供の守り神」なのだという。
「アバガルダイ」「マンジライ」がシャーマンのみが憑霊させる存在なのに対し「ホイモルの女房」はアガ・ブリヤートのシャーマニズムを信じる家庭なら祀られているという点で特殊な精霊である。
この精霊のために人々は1~3年に一度ボーを呼びヒツジの供儀をともなう儀礼をおこなう。
ボーはその時、「ホイモルの女房」を憑霊させる。
この精霊は社会主義時代の無神論を経たひとびとがシャーマニズムを受け入れる契機の一つとなっている。
死や病気を体験した時、「ホイモルの女房を祭るのを忘れたからだ」といわれることによって人々は新たにシャーマニズムを受けいれる。
「ホイモルの女房」に関しては百年前の記録に「ホイモロイヒ」すなわちホイモルの者という名前の女性の精霊が登場する。これが原型だと思われている。
ところが現在ではアガ・ブリヤート全体の母、グレートマザー的な精霊として信仰されている。
実はこの精霊を巡る物語こそが彼らにとっての語られ得ぬ悲劇すなわち1930年代に吹き荒れた粛清と関わっている。
ゆる民俗ラジオで語られたアガ・ブリヤートの精霊「ホイモルの女房」。島村撮影。2000年、モンゴル国ドルノド県。 pic.twitter.com/xtn0JiNxLq
— 島村一平 IPPEI SHIMAMURA (@ippeishimamura) 2024年10月18日
アガ・ブリヤートのシャーマニズムは仏教と宗教的に融合(シンクレティズム)している。
純粋で伝統的かつ真正なモンゴルのシャーマニズムではないものとして排除されてしまう。
モンゴルブリヤートのシャーマニズムに対する「モンゴル性の否定」はモンゴル国における彼らのエスニックな帰属の困難を物語る。
3章 シャーマン誕生とルーツ探求運動
増え続けるシャーマンたちは一体いかなる理由でシャーマンになているのか。何が彼らをシャーマニズムへと駆り立てるのか。
モンゴルブリヤートにとってシャーマンになるということが失われた彼らのルーツを探し求める行為でもある。
ここでいうルーツとはクラン名や父系系譜の知識といったものを意味する。
シャーマン候補者は失われた彼らの守護神である霊的ルーツ(祖霊)を見つけ憑依させることでシャーマンになっていた。
ではなぜポスト社会主義時代のモンゴルブリヤートは悲しいまでにルーツへの渇望を抱き続けるのか。
モンゴルブリヤートに男性人口半分が反革命分子として葬られた1930年代。実は彼らは血の粛清によって生物学的なルーツすなわち系譜的連続性を喪失していたのである。
そしておよそ50年後、社会主義が崩壊するとルーツという亡霊は彼らの中で息を吹き返す。
喪失した社会的な帰属性や共同性を取り戻すため、モンゴルの人々は様々な形で精神的な支柱を求めた。
モンゴルブリヤートの場合は「ルーツ」の探究によってエスニックな紐帯を復活させようとした。
彼らの失われたルーツの探究に対して重要な役割を担っているのがシャーマンである。
このルーツのことをモンゴルブリヤートの人々は「オグ」という。
1 シャーマンのルーツと世俗のルーツ
シャーマン誕生の瞬間は「狂気」や「病気」の発生にある。
シャーマンは好き好んでなれるものではない。
ひとはある日、精神的あるいは肉体的な不調を迎え病院に行く。
が、病院が極端に少ないこの地方では直接ボーやバリアーシやドルリグを持つ者のところへ行く場合もある。
そこで人々は感化されボー、バリアーシあるいはドルリグを持つ者へとなっていく。
とはいえ人々がただちに信用するわけではなくなんども精神や肉体の不調または肉親の不幸を体験して「オグに迫られる」ことでシャーマンになることを選択するのである。
オグが「迫っている」のは彼或いは彼女がシャーマンになることだけではない。
シャーマンに憑霊することで子孫に饗応を要求しメッセージを伝えることを迫る。シャーマンはそうしたオグの霊媒且つ祭祀者となるのである。
シャーマンになるにはボーの場合「シャナル」バリアーシの場合は「シャンダロー」と呼ばれるイニシエーション儀礼をおこなわねばならない。
アガ・ブリヤートの人々は出自に関する知識に誇りを持ち、エスニシティの境界を示す大きな指標となっている。