ガエル記

散策

『増殖するシャーマン』島村一平 その11

ネタバレします。

 

6章 国境を越えるシャーマニズム

 

2 ロシア・ブリヤート人たちのモンゴルへの旅

ロシア・ブリヤートの人々は一般的にはモンゴル・ブリヤートブリヤート人とはみなさず「モンゴル人」と呼びならわす。そんなモンゴル・ブリヤートのところへロシア・ブリヤート人たちは国境を越えてシャーマンになるために押しかけてきているのである。

島村氏はツェレン・ザイランを訪れた時、シャーマンとして弟子入りしイニシエーションを取り仕切ってもらおうとするロシア・ブリヤートの人々を見たという。

数台のロシアナンバーのジープが横付けされ数日間のイニシエーションのために家族や親戚と共にテントや食料まで持参してきていた。

ブリヤート共和国のシャーマン協会の会長ナージャ・ステノーヴァもツェレン・ザイランの指導を乞うべく数百キロを旅してきたのだ。

彼らはどのようなきっかけでシャーマンになろうとしているのか。

ひとつはモンゴル・ブリヤート同様に不幸や災厄の原因を「オグにねだられている」と判断されてシャーマンになる事を決める。

もうひとつはオカルティックな「神秘体験」をきっかけに自主的にシャーマンへの道を選ぶ者もいた。

土木作業員だったアリスランは社会主義時代にはまったくの無神論者だったのに1984年幻視体験をきっかけにシャーマンへの道を歩みだす。

電源が切れているテレビに女性の姿が映り人の過去と未来を見せた後、彼に「シャーマンになれ」と言ったのだという。

ちなみにモンゴル・ブリヤートの間では神秘体験のみによる成巫はあまり聞かない。

 

では、何故「ロシア・ブリヤートは国境を越えてまでモンゴルにやってくるのだろうか」

結論を言えば「ロシアで失われた真正(オーセンティック)なブリヤート文化がモンゴルに残っているから」である。

シャナルと呼ばれるシャーマンのイニシエーションや精霊を憑依させる「技術」といったものはロシア・ブリヤートの間ではほぼ失われたのに対しモンゴル・ブリヤートの愛では残っていたのだ。

シャナルを実践するには様々な祈祷歌や精霊を憑依させるために唱える精霊の召喚歌ドードラガを暗記しなければならない。

格調高い文学表現を伴うものも少なくない。クランや系譜に関する知識や伝承を知らなくてはならない。つまりシャーマンになるためには高度な言語能力が要求されるのだ。

しかしロシアで生活するロシア・ブリヤートブリヤートの日常語は理解できても宗教に関わる語彙や格調高い文学表現はほとんど解さなかったのだ。

またアリスランは六代の父系系譜を記憶していたもののツェレン・ザイランに「少ない」と言われ動揺しさらに自身の系譜に三三歴代の大シャーマンがいたことを教えられた。

 

私たちは社会主義の間にブリヤートのしきたりというものを忘れてしまった。知らぬことを知らしめ、認識せぬものを認識せしめたまえ、仏たちよ。

 

 

ここでいう三三代の歴代の大シャーマンの系譜も新しく作られた可能性が高い。そもそも三とはいわゆる伝統的なモンゴル社会においてシャーマニズムの世界観や様々な神話上の構造を示す象徴的な数字であり三三代のシャーマンが実在していたのではない。

 

こうして見てくるとシャーマニズムというものが精霊の託宣という形をとって新しく文化を創造する装置であることが了解できる。

 

ともかくモンゴルで厳しいシャーマンのイニシエーションを終えたロシアブリヤートの人々は師匠であるモンゴルブリヤートのシャーマンと時には涙を流して抱き合い感謝の言葉を述べてロシアへ帰って行った。

 

3 精霊の召喚歌とディアスポラ

一方、モンゴル・ブリヤートのシャーマンたちもロシア・ブリヤートブリヤート人としての「真正さ」を求めてつながろうとしている。

彼らにとってロシア・ブリヤートの住む大地そのものがシャーマニズムの資源となるがゆえにロシア・ブリヤートとの連携を生み出しているのである。

 

モンゴル・ブリヤートのシャーマンたちが憑依させる精霊オンゴは「オグ」すなわちルーツとも別称されるとおりシャーマンたちにとっての霊的なルーツであり祖霊である。

彼らがこうした精霊をイメージする時、そのイメージの流用源は想像上の「祖先の地」として国境に隔てられたロシア領内のアガ草原と結びつく。

何故なら彼らにとっての精霊は生前にシャーマンとしてアガ草原で暮らしていた先祖の霊であるからだ。

こうしたルーツ霊たる精霊を憑依させるためにシャーマンたちは精霊を呼ぶ召喚の歌「ドードラガ」を歌い唱える。ドードラガとは「呼ぶ」を意味する動詞ドーダハの名詞形である。

ドードラガとはまさに精霊を呼び招くための呪文なのだ。

 

事例1

精霊ルハムの召喚歌

 

美しき高地ズトゲルの白き丘がホーダル(御座所)なり

連なる樹々が移動みち

ふたつの泉が飲み水のナハトの息子、バルジルの娘ルハムよ

こちらで美しく歌おうよ

 

4 アガ草原への巡礼

民主化以降国境が開かれ自由にロシアへ行けるようになると多くのモンゴル・ブリヤートのシャーマンたちは召喚歌に登場する「ホーダル」つまり自らの霊的ルーツである精霊の墓地(シャンダン)を捜しに旅に出ている。

「故郷」としての「ルーツ探し」である。

ここで重要なのはこうしたシャーマンたちの動きはモンゴル・ブリヤートの人々のルーツ探求運動とリンクしていることである。

ルーツ探求運動とは民主化以降ブリヤート・モンゴル人っ体の間で活発化している「オグの書」と呼ばれる父系系譜を再び作成する動きを指す。

彼らは方々を訪ね口頭で伝承され記憶されている系譜の知識を集め始めたのである。場合によっては国境を越えたルーツ探求を行う人も少なくない。

 

おわりに

 

ロシア・中国・モンゴルの三国にまたがって居住しているモンゴル系エスニック集団アガ・ブリヤートの特にロシアとモンゴルの国境を越えるシャーマニズムの活動を通して国家によって制度化された「共同性」がいかにつながっていて、つながっていないか、を検討してきた。

国境で引き裂かれたロシア・モンゴル双方のブリヤートシャーマニズムに関する相互の「異文化誤解」によって構築されたと言ってよい。

ロシア・ブリヤートは「モンゴルブリヤートにこそ真正なブリヤート文化が残っている」とし、一方モンゴルブリヤートは「ロシア・ブリヤートの居住する大地こそが失われた故郷である」と理解することによって双方のつながりを生みだしてきたのである。

それぞれが「失われたもの」を相手に求めている。

本来同じ民族であった双方のブリヤート人は互いに他者化されることによってシャーマニズムを媒介にして互いの文化や土地をロマンティサイズしたのである。

逆説的ではあるが相互に他者化がなされたことによって再びエスニックな紐帯を回復する契機が生み出されたのである。

とはいえ、「他者」の地をロマンティサイズするということは自らの玄奘に対する不満や苦悩を語っていることに等しい。

ここではない、どこかを理想化するということ、それは今「ここ」における苦難の別の謂いであると言ってよい。

いずれにせよロシア・モンゴル双方のブリヤートはモンゴル・ブリヤートにとっての「失われたルーツ」ロシア・ブリヤートにとっての「失われた民族文化」を相互補完しているのである。