ガエル記

散策

『憑依と抵抗』現代モンゴルにおける宗教とナショナリズム 島村一平 その1

シャーマニズムの増殖』に引き続き島村一平著書を読んでいきます。

 

「排除/憑依/反抗」をキーワードにいまだにしられざる現代モンゴルの真相を明らかにする。

(カバーそでより)

 

ネタバレします。

 

【はじめに】

ここで多くの日本人が想像する「モンゴル」は「スーホの白い馬」からきているのではないか、と書かれていてちょっと慌てた。

というのは実は私「スーホの白い馬」を読んだ記憶がおぼろげでどちらかというと「そういう話がある」という他者からの説明を記憶しているにすぎなかったのである。

それでも意味は判る。たぶんそうなんだろう。

 

ではわたしにとってのモンゴルはなんだろうか。

たぶん金庸射鵰英雄伝』ではないだろうか。

かつて一時期中国ものに凝りに凝っていてその中の一つが金庸武侠ものであった。

特に2003年ドラマ『射鵰英雄伝』が大好きだったのだが主人公郭靖は漢人ではあるもののモンゴルで生まれ育つ。

やはりここでもモンゴルの壮大な自然が描かれていた。タイトルの『射鵰』という響きにモンゴルをイメージしてワクワクした。

それからも歴史中国ものをたしなめばモンゴルの存在は常にある。

そのイメージはまさに勇猛。脅威を意味していた。

なので私のモンゴルイメージは中国作品からのものだ。

それは畏怖だったように思う。

【はじめに】を読んで当時のワクワクを思い出し久しぶりに浸ってしまった。

 

島村氏があげた「モンゴルを語った日本人作家」で読んだのは以前書いた司馬遼太郎氏のみでそれも『草原の記』だけなのだ。

私にとってのモンゴルを描いた日本人作品ならば、このブログでもずっと書き続けている諸星大二郎のものだろう。

もうひとつは横山光輝チンギス・ハーン』である。

どちらも勇壮な遊牧民のイメージなのは間違いない。

だからこそ

現在、モンゴル国の中で牧畜に従事する者ーすなわち遊牧民は人口の九パーセントを占めるにすぎない(2020年)

という島村氏の説明には当然「そうなのか?!」と驚き「ですよねえ」ともなった。

日本人と言えば「サムライ」かもしれないが「サムライ」は9パーセントどころかひとりもいない(はずだ)「ゲイシャ」はいるけど。

 

「モンゴルは古き良き日本」言説

は思いもしなかった。

私にとってのモンゴルイメージはチンギス・ハーンすぎる。

日本人は馬に乗れない。

馬を駆り矢を射て鷹を腕に止まらせる、憧れの雄姿がそれであり日本人には真似できない。明らかに中国作品に毒されているのが私のモンゴルだ。

 

とはいえ島村氏の【はじめに】で知った「日本人の持つモンゴルイメージ」は出発点は違えども私もしっかり重なっている。日本人には無理だとは言いたいが。

 

さあ読んでいこう。