ガエル記

散策

『憑依と抵抗』現代モンゴルにおける宗教とナショナリズム 島村一平 その4

ネタバレします。

 

 

第2部 社会主義のパラドクス

4 秘教化したナショナリズムチンギス・ハーン言説の”誕生”と挫折、秘教化(1921-53年)

 

十六世紀末からチンギス・ハーンは仏教的な転輪聖王と捉えられるようになって以来神格化が進んでいったのが近代となって神話的性格を取り払った「歴史上の人物」としてのチンギス・ハーンの再構築が必要とされた。

とりわけモンゴル人がナショナリズムを形成する際、何よりもチンギス・ハーンをモンゴル人にとっての共通の始祖であるとイメージすることが必要である。

 

5 社会主義が/で創造した民族の英雄チンギス・ハーン(1941-66年)

1989年12月に始まるモンゴル民主化運動は民族復興運動でもあった。この民主化運動において最も重要なアイコンとなったのはかつてソ連の圧力の下で語ることが許されなかった「チンギス・ハーン」である。

当時のロック・バンド「ホンホ(鐘)」は歌い熱狂的に支持された。

社会主義時代に記念すべき御名を歌にもできず、お呼びしたかった御名を口に出すことすら恐れてきた哀れな彼らを許したまえ」

この曲は当時モンゴルの国民的感情を代弁するものであった。

 

こうした民族主義的な傾向は民主化後も収まらず2006年に加速していく。

1206年チンギス・ハーン即位(=モンゴル建国)から数えて800年ということで70以上の記念事業が企画された。

 

(この段階で「チンギス・ハーン」で検索したら「マンガ雑誌「コロコロ」においてチンギス・ハーンの顔に男性性器の落書きをするというマンガ作品の件で朝青龍が猛烈な抗議をした」という事例が出てきた。朝青竜は1980年生まれでまさにこの民主化運動と共に成長してきたといえる。たぶん彼の怒りがどのようなものだったのか日本人の多くは判らなかったのだろう、と今更思う。これに関した日本人コメントからもそれが感じられる。例えば「チンギス・ハーンだけじゃなく日本の偉人にも落書きしてるよ」などと書いてるのだ。思いを知らなかったとしか言えない。今更ながら朝青龍とモンゴルの方々に申し訳なく思う)(余談だが、朝青龍、好きだった)(彼がいなくなってから相撲が嫌になったんだ)