ガエル記

散策

『憑依と抵抗』現代モンゴルにおける宗教とナショナリズム 島村一平 その5

ネタバレします。

 

 

6 呪術化する社会主義

島村氏はポスト社会主義モンゴルにおいてシャーマンが増えていく現象を「活性化」=リバイタリゼーションという言葉で表している。

「復興」=リバイバルではなく。

その背景には社会主義時代シャーマニズムは滅んだのではなくシャーマニズムを支える思考法が地下を流れる伏流水のごとく人々の心の中で生き続けてきたことをフィールドワークを通じて理解してきたからだ、と書く。

その思考法は「ルーツ災因論」といえるものであった。

なにか病気や災厄が降りかかると「ルーツ(先祖霊)に(シャーマンになるように/彼らを祭祀するように)ねだられている」と考えるのだ。(すべての人ではないが)

 

世界終末の予言がシャーマンによって語られる一方でオカルト雑誌の中に仏教ラマのインタビューが登場する。またかつての清朝時代の大ラマの転生者だとされる化身ラマたちが登場して神秘的な呪術能力ゆえに信仰を集めている。

 

さらに島村氏は予備的考察を念頭に置きながら提起したいのは「社会主義的近代化がむしろ呪術を強化したのではないか」という仮説を置く。

すなわち宗教組織、聖職者、聖典といった宗教の制度的部分を社会から隔離しようとした結果(完全に隔離したのではない)むしろ宗教の呪術的側面が強化されたのではないだろうか。

そしてラマたちは還俗させられたことによって「宗教的職能者」から「呪術的職能者」に変貌していったと考えられる。

 

ここで興味深い人物が紹介される。

ツェレンドンドブ(1919-96年)11世紀後半から12世紀にかけて活躍したチベットの高名なヨーガ行者、カギュ派の宗祖ミラレパ四代目転生者とされた人物である。

現地ではモンゴル語でミラレパを意味するミロ聖人などと呼ばれる。

1919年、モンゴルが社会主義化する五年前に遊牧民の子として生まれ激動の時代を生きる。

モンゴル遊牧民の5歳の少年はミロ聖人四世として認定される。

社会主義国モンゴル人民共和国が成立した年であった。

彼の寺院での平穏な生活は長くは続かない。

1920年代後半から社会主義政権の仏教教団に対する圧力は次第に強まり財産は没収され僧侶の還俗が始まる。

ミロ聖人は寺院を転々としながら身を隠していたが父親の勧めに従い最終的には還俗して普通の遊牧民となることで身を護った。

1933年、14歳のミロ聖人改めツェレンドンドブ少年は駅伝に就職する。モンゴル旧字を覚える。

17歳の時彼は亡くなる寸前の伯父のラマから「おまえは新政府の規則にきっちりと従って生きていけ」と言い残された。

多くの化身ラマが次々と逮捕され処刑されていた時代である。

1939年20歳となった彼は志願兵となり陸軍に入隊し優秀な勤務状態を認められ1943年モンゴル人民党への入党を許可される。

1945年秋、陸軍を除隊した彼は故郷へ戻る。キリル文字も自在に書けるようになっていた彼は幹部候補として働く。

1949年に生産大隊の党細胞組織長・流通アーゲントになる。地方における家畜の徴収と物品の配給・販売の担当者であった。

この仕事を彼は1989年までの四十年間続ける。そこで「アーゲントさん」という愛称がつく。

さまざまな議員も務め表彰もされ、1991年オチバルト大統領から北極星勲章を受ける。

民主化以降、宗教が解禁されるとツェレンドンドブは再び「ミロ聖人」と呼ばれるようになった。すると彼のもとに今まで以上の多くの人がやってきて相談するようになったという。

 

その後彼は1996年春、病を得て77歳の生涯を閉じた。生涯未婚だったという。

 

ほんとうに賢い徳の高い人物だったのだろう。その生涯を思いしみじみと感嘆する。

 

ミロ聖人・アーゲントさんの物語は続く。

島村氏は2016年彼の故郷ザブハン県シルースティ郡を訪れオボー祭で出会った7・8人の老人たちに「皆さんの中でミロ聖人に名前をつけてもらった人はいますか?」と尋ねたところ「全員だよ」という答えであった。

生前のミロ聖人を知る70代の老人は「子供が病気になるとだまって角砂糖をくれた。本当に元気になった」と話す。

砂糖のような物がなかった当時、角砂糖は栄養ドリンクのようなものだったのだろう、と書かれる。

微笑ましいエピソードである。

この角砂糖はあちこちで大活躍したようだ。

私もここにいたらミロ聖人からもらう角砂糖が楽しみだったのではなかろうか。

ミロ聖人は息を吹きかけるという呪術を行って渡した、と書かれているが私はどうも「埃がついてないか吹き飛ばして渡した」と思えてならない。

またミロ聖人は病人のために航空券を手配してウランバートルの病院に入院させるのだが、これは有力な人民革命党員アーゲントさんだからできることであった、という説明がなんとも頼もしい。

また彼自身は骨接ぎ整体はできないものの「あの人に見てもらえ」という適切な指示ができるソーシャルワーカーでもあった。

 

人々が語るミロ聖人の功績は行政手腕に富んだ地方官僚のそれであった。

おもしろすぎる。

 

この地域の人々は「社会主義という呪術」/「社会主義に密かに実践された仏教呪術」という二重の呪術を受け入れていたのである。