
ネタバレします。
最終巻はまとめて書いてしまおう。
本作『関東平野』こんなに素晴らしい作品だとは思ってもみなかった。
なぜこれがもっと有名じゃないのか不思議でしかない。
ある意味今流行りの「マンガ家立志伝」の一つだとも思えるのだけど。
青春物語としてもエロス作品としても読み応えある。
今の感覚で読んでもいけるし、なんといっても作画の質が破格なのだ。
主人公金太は確かにそれほどの個性はない。
悪い人間ではないけど面白くはない。
出てくる男たちの中では一番奇麗な顔立ちをしている、というのも変な感じではある。
しかしそれを上回る魅力を持つ「男たち」が居並ぶのだから充分である。
なといっても一番魅力的な登場人物は銀子だ。
現在では「女になりたい、私は女だ」という男子の話は当たり前のようになってしまったけど1976年当時のマンガ作品(特に男性作家のもの)ではそんなになかったはずだ、と思う。
描かれていても妙にずれている表現のものが多かった気がするのだけど(これは私の思い込みでしかないが)本作の銀子にはそんな「ずれ感」がまったくない。
今読んでも爽快である。
金太への友情と愛情もさっぱりとしててそれでいて切なく一途でもある。
「私は女よ」と言いながら金太を助けるためなら平然とオチンチンを見せる豪気さよ。
立ちションする金太の横で「あたしもしようっと」と付き合うのも良い。
最終章はやはり銀子と金太の話であった。
この構成にも実は感動した。
銀子はついに金太とキスをし金太もそれをしっかりと受け止める。
感動した、というのは大げさなようだが以前の作品では銀子みたいなキャラは大概話の途中で死んでしまったり少なくともいなくなったりしてしまうものだったように思う。
70年代の作品でここまでしっかり主人公男性とゲイボーイの友情を描いたものは少なかったのではないか。
最期、金太と銀子は別れる。青春の終りだというように。
むろん名前が金と銀であることはふたりの関係を物語っている。
それに対象的に描かれてしまうのが今日子である。
美しい女性である彼女とは狂おしいほどのセックスをしてしまうが心は結ばれない。
しかし転居先のアパートの管理人娘に「別れました」と表現した金太は「ふられたくせに。カッコつけないでよ」と言われてしまう。
金太のこの軟弱さはこの作品でもっとも心苛立たせるものだが青春ものには仕方ないものなのだ。
今日子はヒロインにはなれずに消えていく。
そして金太と対称的なのが山田クンである。
同い年だが老けていて冴えない容貌の彼は銀子に「あたしは面食いなのよ」と言われながらも彼女の好意を引き寄せてしまう男らしさがある。
リーゼントにしてますます滑稽な風体になってしまうのだがそれでも絵を描く才能とひたむきさは金太に足りないものである。
というか、「顔の良さ」だけが金太の長所で山田クンはそれがないがそれ以外は山田クンのほうがだんぜんステキなのだ。
なのに主人公にはなれないのが山田クンなのかもしれない。
金太の特性の一つは「年長の男性」に好かれてしまう、ことだ。
そして金太自身も年長男性が好きなんだろう。
お祖父ちゃん、そして黒マントこと柳川大雲、そして新しい管理人もそうなのかもしれない。
特に黒マント=柳川大雲がとても良い。
「責め絵」を得意とする有名画家で常に女性を緊縛する夢想を持つ男だがいやらしさがない。
新しい妻への愛情も深い。
この作品を読んでいて目についたのはお金を持って礼をする、という仕草である。
今この仕草をするマンガってあるのかな。
別に感激したりはしないけどこうした仕草を絵にする、という演出に感心してしまった。
『関東平野』私はとても高く評価したのだが若干甘い点をつけているのかな、と思う部分はある。
というのは、銀子を含む「男たち」はとても良いが「女たち」の描写はあまりにも男性視点のもので偏っているように思えてしまうからだ。
どうしても『昭和一代女』『修羅雪姫』という作品だけは読んだことがあるのでその上での評価になってしまっているのだろう。
とはいえ男性作家は男性視線でしか女性を描けないのだから仕方ないのは仕方ない。
しかし銀子というキャラクターはとても良いのに女性だとなっただけで「女でしかない」キャラクターになってしまうのは不思議な気もする。
それもまた経験の浅い主人公金太の目を通した女性像、だからなのだろうか。
が、上村一夫作品は「女性を描くことにこだわった絵師」と必ず記されている。表紙もほとんど女性である。
今後、上村作品での女性像がどうのような表現なのか、読んでいきたい。