1971(昭和46年)年9/2号~72年2/17号「漫画アクション」
「上村一夫を読む」という主旨で始めた前回の『関東平野』は非常に高質な作品で感激しましたが残念なことにもうひとつの目的であった上村女性の描写は今一つだったので次回はできるだけ女性中心のものをと選んだのが本作です。
とはいえ未見で選んだので内容はどうなのでしょうか。
わくわくです。
ネタバレします。
結果、堪能できた。
愛蘭女子学園に転校してきた三条麻理亜はとんでもない不良クラスに編入してしまう。
「マリア」に対し「架空妊娠で子供を産んだ女」と嘲笑う女子生徒たちは放課後彼女と学園のスケバンとの一騎打ちを仕掛ける。
が、その喧嘩っぷりを見て逆に惚れ込んでしまった女子はマリアにボスになってほしいと頼む。
それはふたつのスプーンが重なるシンボルを持つレズビアンのグループだった。
『関東平野』では70年代のマンガで「ゲイボーイ」があっけらかんと爽やかに描かれていたことに驚いたが本作ではレズ・ホモだけではなく近親相姦までもが無論隠されているとはいえ描かれる。
「それは男が男の肉を求める放課後でもあった」は是非ネットミームに使ってほしい。
マリアの養父は学校に来ると見せかけて彼女の担任教師と交わっていたのである。
(いや、別の日にすればいいと思うんだが)
しかもその担任教師はマリアに階段から突き落とされた後いわばレイプされてしまうのだ。彼はマリアとの被虐的な体験を忘れられず彼女をストーカーしたあげく思いが叶わず自殺する。
果たしてマリアは地獄の天使なのか、というのが本作のテーマというのかなんなのか、とにかく奔放に生きるマリアを私たちは見続けるしかない。
マリアが好きになった男子高校生の名は桐人(きりひと)だった。関係はなくともマリアとキリストという名に似た男との交わりは近親相姦を思わせるが桐人は実の母親と近親相姦の関係にあった。
それを知ったマリアはあの年増女からあなたを奪ってみせる、という。
こういうところが上村ヒロインの爽快なところだ。
しかもその後桐人の母に何度も「助平」と言い倒して「すっきりした」という。
見習いたい。
桐人の母は夫を毒殺する。
桐人は母を抱いて母を求めたが母を得られず、マリアを抱いて母を得たと思い「なぜなのだ」と自問しバイクで疾走して墜落死する。
桐人の死を知ったマリアは家族(祖父・母・養父)が出かけてしまった屋敷でレスビアンパーティーを開くのだった。
それは担任の女性教師を生贄としたものだった。
だが途中で家族が帰宅しパーティーは中止される。
が、そのことで養父はマリアの実父が養父と同性愛関係にあって自殺したことが暴露され養父はもう祖父のいいなりにはならないと言い放つ。
桐人が死に実の父も自殺だったと知ったマリアは「あたしはお母さまのように耐えることに快感を覚える女にはなりたくない」と言って学校を辞める決意をする。
マリアは退学届けを出したったひとりの女友だちと別れを告げる。
ところが旅するマリアは自分のお腹に桐人の子が宿っているのを知る。
旅先でマリアは赤子を抱えたシングルマザーと出会い彼女の家に滞在することとなる。
彼女は声がかかると芸者としてでかけ売春もしているのだろうとマリアは思う。
その彼女が仕事先で骨折してしまう。
病院へいかなければと彼女をリヤカーで運ぼうとするマリア(今、こんな発想しないよな)を手伝ってくれたのは墓守の子だというキンちゃんだった。(金太と重なる)
赤ん坊をおぶってリヤカーを引く(リヤカーの引き方が堂に入ってる。この持ち方知らないよな)マリアを手伝うキンちゃんは町の子供たちから「隠亡(おんぼう)」「墓場のキン太郎」と罵られる。
(隠亡という言葉を初めて知った。火葬や墓守をする人への差別なのだ)
マリアはその中のボス少年を見抜きひっぱたいて「用があるなら後で聞く」とタマを握りしめる。
女性は治療を受けるが医者はマリアに欲望し体を求める。マリアは毅然と突き放した。
マリアは女性の代わりにお座敷に出て金を稼ぐ。
さらにキン坊が「空飛ぶ円盤」を写真に撮ったと評判になるなどの騒ぎが起こる。
マリアは次々と欺瞞を暴き出していく。
そして旅立つ日、知り合った女性と口づけをかわす。
冬、寒さの厳しい北の海村でマリアはひとりのたくましい男と出会う。
その男は妊娠しているマリアをいたわり熱を出して倒れた彼女を看病した。
村人は突然現れたマリアを嫌ったが男はそれも厭わずマリアを家に置く。
男は絵を描くのが好きだという。
荒れ狂う海にも負けない男のもとでマリアは桐人の子を生んだ。
冒頭に書かれた「架空妊娠で子供を産んだ女」という言葉が最後に復讐される。
マリアははっきりと桐人との交わりで懐妊した。
そして別の男のもとで出産をしたのである。
いわば「キリスト教」における「処女懐胎」という「欺瞞」をマリアは暴いたのである。
「欺瞞」こそが彼女のもっとも憎むものなのだ。
日本近代史の学びとしても満足する作品だった。