
1975(昭和50年)年9/25号~76年10/28号「漫画アクション」
「上村一夫を読む」というトライアルを考えつかなければ絶対自分が読みそうにもないタイトルである『サチコの幸』
読んでいきます。
ネタバレします。
金のない学生さんにも情けをかけてしまう売春婦のサチコ。(ところで男女差別防止のためとはいえ売春婦は売春師にはならないよね)
半額にした上に汚れたパンツを洗ってあげる上に自分のものを貸してしまうのだ。
そんなサチコに呆れながらも一緒にお菓子をたべようという隣人売春婦は突然苦しみ出して死んでしまう。胸を病み金がなかった彼女はヒロポンの代わりに玉ねぎを摺ったものを注射していて死んだのだという。
サチコは両親と死別した満洲帰りのひとり身で上野の浮浪児たちに交じって幼少期を過ごしケンちゃんと結婚の約束をした。
一掃浮浪児狩りで離ればなれになったけどあの頃は幸せだったとサチコは言う。
「だからもう「幸せ」を他人とくらべることはやめることにしたの」
さがそのケンちゃんはヒロポン売りになっていた。
昭和二十五年映画『また逢う日まで』封切られる。
元帝国陸軍軍人、近親相姦的変質者、接吻魔、ジェントルマン(貴族出身老人)緊縛願望男などサチコは様々な男と対峙せねばならない。
しかも金がないのでかわりに大量のカストリ雑誌を持っていてこれを金に換えてくれと言い出す。
しばらくサチコはこのカストリ雑誌男の面倒を見るものの「わいせつ文書頒布」で逮捕され希望して荒縄で縛られ連行されていく。
ある日、サチコは突如現れた男に喫茶店へ誘われた後、映画『舞踏会の手帖』を観る。
もらったせんべいをガリガリ食べて叱られるサチコ。
さらにダンスホールで初めてダンスをしたのでした。「はじめてのリード」にサチコは酔いしれる。
そして公園で交わった後、男はサチコの顔に百円札を投げ落とした。
「まけといてよ」
打ちひしがれ悔しさを噛みながらもサチコはバッグの中の手帖に「十四日、100円—(臨時収入)」と書き込んだ。
「東京キッド」を歌いながらサチコの靴を磨く少年は「なあ、俺にもやらせろよ」と言い出す。
「キミの年齢じゃまだ無理ね」と答えるサチコ。
だが少年は夜、サチコの前に現れる。
客なしだったサチコは誘われるままに少年の棲み処であるバス(?)へ行く。
少年はドラム缶で風呂まで用意してくれておりサチコは浴びた。
が少年はサチコの中に射精することはできず「小便が出る」と叫んで飛び出した。
このコは性を知っていなかったのだ。少年はサチコに抱かれながら「オカアサン」とつぶやく。
「オー・ミステーク」
当時の流行語を題材にしてのエピソード。
なんとも酷い話だが最後の「バッキャロー!見世物じゃねえんだ」だけが救われる。(救われないが)
「娼婦志向」
前篇とは真逆の美しく妖しい世界。
サチコの売春宿に突如現れた富豪の美女。
生活のためではなくその身を売りたいと言い出す。
あてがわれた一部屋を鏡張りの部屋に改装したその夫人は色香でひとりの男を狂わせ命を落としてしまうのだ。
ただ食っていくために売春をしていたサチコにとって夫人の出現は苛立ちでもあり謎だった。
迎えに来た夫人の夫の足は義足であった。
昭和23年「新嘗祭」と言われていた日は「勤労感謝の日」となった(そうだ)
このエピソードでは売春婦のみんながやたら「お母さんの話を聞きたがる」と描かれる。
申し訳ないけどどういうことなんだろう。
真面目にどういう意味かがわからない。
確かに思えば「母さんが夜なべをして手袋あんでくれた」という「母さんのうた」は子ども心に謎唄でもあった。いろりもないし。
「まあ、昔の貧しい家の唄なんだろうなあ」という思いで聞いたり歌ったりはしていたがもしかしたら彼女たちのように「母さん」の物語に恋い焦がれていたということだったのだろうか。
サチコたちは仲間が話す「母さんの話」が例え嘘であっても涙を流し本当であったらまた涙を流すのだ。
「毒親」を言い立てる昨今、「母さんのうた」はますます遠くなってしまった気がする。
嘘でもいいから母さんの話が聞きたいサチコたちの気持ちがまったくわからず途方にくれる。いったいどういうことなんだ。これを隔世の感と呼ぶのだろうか。
「ジュ・テーム・サチコ」
山形出身の早稲田大学生山岡はさみしくなるとサチコに会いに来る。
一緒に布団に入って虹の話、夕焼けの話、故郷の話、フランスの詩の話などをするのだ。
これまでの話からいっきにほのぼのとした作品である。
だからといって本作に「いいねえ」という感慨は起きないのだが(性産業はさすがにツラすぎる)サチコさんは好きになった。
日本近代史の学びとしてもやはりとても良い。
上村作品、今一度見直されていいのではなかろうか。