1976(昭和51)年9/10号~'77年6/24号「漫画TIMES」
1976年に発表された怨霊十三夜シリーズのうちの一作
と書かれているがシリーズの他作品の本がよくわからない。
どこかに隠れているのだろうか。少しずつまぎれこんでいるのか?
この本には本作の後に一作品収録されている。
ネタバレします。
昨日は『やっちゃれトマト』で巨匠となった上村一夫の足搔きを見たが本作はその作品からほぼ三年前である。
まさに上村一夫の真骨頂、と勝手に思う。
同じ年に上村は『関東平野』次の年に『昭和一代女』を描いている。
まだまだ上村作品の半分も読まずに言えないが1976年77年が氏の頂点なのではないだろうか。
さて本作『蛇の辻』は――怨霊十三夜 その四夜として始まる。
江戸時代。城下に住む両親から離れ府外渋谷村に病身の兄と住むようになって数年。
渋谷川によって湿地帯ができ、そこから蛇が辻を横切ってくるためにこの辺りを人は「蛇の辻」と呼んでいる。
淫靡な事件を呼び込む状況。
人里離れた一軒家に美しい兄と妹。
兄は病弱ではあったもののなぜか縁談が決まりそうになった時から急に寝込むようになってしまったため療養のためにふたり暮らしをはじめたのである。
ここでひとつの事件が起きる。
夜更けにガラガラというけたたましい音を立てて荷車を引いてくる若い男が登場し兄妹の隣に越してきたのだ。
男は奇妙な行動をとる。
荷車で轢いてしまった蛇を優しく介抱してやるのだ。
妹の小雪はその男を「男臭さがにおってくるような男」と言い捨てる。小雪は病弱で美しい兄に恋しているを秘している。
が、となりに越してきた米次郎の登場ですべてが明るみに出てしまう。
米次郎はあの葛飾北斎の弟子だという。
引っ越しの挨拶で米次郎と言葉を交わして以来兄は突然床を離れ彼の写生にまで同行する。
小雪はその姿を見て嫉妬し帰ってきた兄に思いを打ち明けてしまう。
兄は妹を拒絶し米次郎の宅へ向かう。
兄を追いかけた小雪は隣家で兄が米次郎と交わっている姿を見る。
怒った小雪は兄の留守中に米次郎を刺殺し井戸に投げ込むのだ。
それを見ていたのは米次郎が可愛がっていた蛇だけだった。
ここから奇妙な展開となる。
再び夜更けガラガラとけたたましい音を立て荷車を引く者があらわれる。
こんどは若い女である。
女はお栄といって葛飾北斎の娘だという。
そして米次郎が旅立った、と兄妹に告げるのだ。
兄妹はそれぞれの思いで戸惑う。
兄は愛しあった米次郎が突如いなくなったということに。
妹は殺したはずの米次郎がその後旅立ったということに。
しかし小雪は井戸を覗き込み確かにそこに死体があると確かめた。
その後、お栄は小雪と近しくなり女同士の愛を教え込む。
小雪は兄を慕っていたのも忘れお栄との情交に夢中になっていく。
お栄の留守中に家に入りお栄を思って自慰をしている時井戸の中から死んだはずの米次郎が浮かび上がってきたのだ。
怖れながら井戸を覗き込んだが米次郎の死体はなかった。
小雪は井戸の中にはいり確かめようとし蛇の群れに襲われた。
兄が妹をの不在を隣家に尋ねようとした時、三度めの荷車がくる。
こんどは北斎自身であった。側に”娘のお栄”がいた。
では先日の”あのお栄”は?
しかし北斎がその家に住んだのはひと月にも足らぬ間であった。
その理由は「蛇ノ辻」が「陰間ガ辻」と呼ばれるようになったからだ。
夜な夜な兄は女装して辻に立ち男を呼び込むのであった。
あるいは美女の裸体を描くため女の狂気を描くためのストーリー仕立てかもしれないがそれとしても上手くできている。
これまでも上村一夫作品には男性同性愛が度々描かれてきたがそのどれも雑に描かれたものではなく本作でも丁寧に描かれていることからも上村氏はその感情を軽薄には扱ってないと判る。
もうひとついえばこの作品は蛇が人間に対する愛情なのか義理なのか、殺された米次郎の無念をはらした自分勝手な小雪への復讐譚と言えるだろう。
蛇の思いを一切描いていないのはハードボイルド風味なのか。
兄も妹小雪に対する言動がいたらないばかりに大切なものを失ってしまっている。
上村作品の男性はいつも「いたらない」
本書の最後に上村一夫氏の『劇画家として』というあとがきがある。
どうやら「サンデー毎日」というものの中で「劇画賛否論」というものがあったらしい。
「劇画は文化の何の足しにもならない」と書かれていたらしく上村氏の無念のほどがうかがえる。
が、上村氏はここで「私達の世代は怒りようがない。なぜ怒れないかというと、日本が戦争に負けたことにすら怒れないところから私達はスタートしているからである」と書く。
この思いは世代の違いなのだとも上村氏は語る。
5歳違えばバーで手拍子を打ちながら軍歌が歌えるがその隣に行くと「おまえたちは闇市を知ってるか。赤線を知っているか」と問われ答えられない。世代が違うのだ、という。
その後、「劇画の読み方」という話になっていく。
そして上村氏以上の世代(1940年生まれより前)には「劇画が読めないのだ」と書かれる。
確かに。
自分はこれより後世代なのでというかこの文章を読んでいる者たちは殆ど皆この後世代だろう。
「劇画が読めない」という意味がよくわからないのだ。むろん「劇画には文化としての意味がある」
だがこの時の上村一夫氏にとって「劇画が文化として何の意味もない」と書かれたのは悔しいことだっただろう。
それでも上村氏は「劇画はその無意味なものへの警告みたいな一つの句読点となりえればそれでよいのだ」と書く。
そしてそのことを「幸福なことだと思う」と締めている。
読者としてもそのとおりだと思う。
このあとがきもまた「日本近代史」として保存しておきたい。


