1975年「ビッグコミック」
これは何を意味しているんだろう。
私はニジンスキーの『春の祭典』を思い出したけどつながりはある・・・のか??
ネタバレします。
この作品うっかり読み飛ばしてしまうと「かつての田舎によくある女性差別による苦悩の物語だ」と怒りを持ってしまいそうだ。
だがよくよく読み返すとこの物語はそこまで悲しい話ではなくじっくりと考えて語られているのだと判ってくる。
語り手である二十四歳の女性ちえ子は「母のような無性格な主婦」になるのが嫌で働き職場結婚したもののぼろぼろに疲れて実家に戻ってきた、という。
文による説明だけで示されるこの数年の出来事を想像してまず本編に入らねばならない。
ちえ子は父の生家である「医者もいない小さな村」(たぶん作者の出身地である秋田県のどこかのイメージなのだろう)にしばらくやっかいになることにした。
村に着いてすぐちえ子は物語の主人公である「かんな」に出会う。
ちえ子の父の妹の娘、つまり語り手の従妹になる。
かんなには男兄弟が三人と姉二人がいる。
姉はもう嫁にいったという。兄のひとりは死んだらしい。
かんなは運動会でも一番で教頭からお墨付きが出るほど勉強もできる。
教頭はどうしてもかんなを女学校に行かせたいと頑張っている。
父親は「嫁に行くおなごにそんな金は出せない」と言って邪魔をしていくので「ああやっぱり昔の田舎の話はこうだから」とイラつくが、この話、邪魔をしているのは父親とかんなに嫉妬している兄だけで教頭も弟も周囲のものはみんなかんな応援をしているのだ。
ところが「入学試験二百人中二番で合格」した娘の報告に喜びを見せた父親が樺太で事故死してしまい、かんなは進学断念をする。
妹の夫の葬式に駆け付けたちえ子の父親はかんなの話を聞いて援助を申し出た。
来年東京にでてきてもう一度受験し受かったらちえ子の家から通学すればいい、というのだ。
かんなは必ず行くと約束した。
が、運命は過酷だった。
翌年東北は大飢饉となりかんなは病死したのだ。
それから弟の太一は戦死したとあるのでこの話は戦前数年前のことだったのだ。
それから長い月日が流れ川に挟まれたその古い家では年老いた叔母がひっそり暮らしているという。
語り手ちえ子のその後の説明はないが最後の「女子師範にでも」という言葉からそれなりの仕事の道に進んだのではないだろうか。
この物語は極端に女性差別を描いたものではなくそうした時代にも強く生きようとした女性たちとそれを見守る男たちもいた、と描かれている。
それと運命とはまた別の話である。
今現在でもこの話は置き換えて描くことができる。
しつこいがデビュー同年の二作目だ。
どういう頭脳の持ち主なのだ。
単純な女性差別物語ではない。いやな男も登場するが支えてくれる男もまた存在するという。
考えればあまりにも期待をかけられた男たちでつぶれていった者たちもいただろう。
かんなは懸命に生きた。
救ってあげたかったけど。
「女傑往来」
1977年「ビッグコミック」
そしてこちらは「だんぶりの家」の別の道。
こちらは(wikiを見ればよりいっそう)女ひとりで学問しようと奮闘しついには日本で三番目の女医になった高橋瑞子を描いたものなのだ。
そのwikiで見てもかなりの恰幅良い女性だったようだ。
断髪男装で大繁盛だったというその女医の苦学時代の物語である。
今回の語り手は駆け出しの新聞記者青年である。
もぐりこんだ下宿屋で一か月同室を余儀なくされたその相手が三十三歳の瑞子女子であった。
彼女の遍歴を読む分にはあの恰幅になったのはたぶん女医となり五十歳を過ぎたあたりからなのではなかろうかと思う。なにしろ貧乏で食うや食わず着たきり雀で苦学していたらしいからこの頃はむしろ痩せていたのではないだろうか。
しかしマンガ的にはそれでは個性がないから、なのかそれとも本当に最初からこの体格だったのならスゴイ。
豆を食うことであの体格が作られる、かな。
まあそんな詮索はどうでもよくて相撲取りのような迫力の瑞子女史が周囲の男性を睥睨して医学の道を黙々と進む様はたしかにかっこいい。
瑞子の対極として置かれる玉緒が気の毒ではある。
にしても構成がうますぎて唸ってしまう。
高橋瑞子という名前は早く出てくるのだが知らなければ語り手・野路と同じように「いったいこの女性は何者だろう」と思いつつ筋を追うことになる。
女子禁制の学校にねばって入学を許可され下宿から三里の道を通う。
学費のためにやったことのない仕立て屋をやりさらには豆腐屋の妾になる。
野路は下宿屋の娘玉緒とねんごろになるものの玉緒は別の男とかけおちし野路は下宿を移る。
玉緒は入れ替わりに下宿に帰ってくる。
男と逃げることにしか人生の反逆をできない女の悲しさが描かれる。
そして対極の女である瑞子は二年後に日本で三番目の女医となる。