ガエル記

散策

『細雪』(1983年版)市川崑/原作:谷崎潤一郎

この画像通りのDVD鑑賞しました。

 

 

ネタバレします。

 

 

市川崑監督独特のカットの切り替えと台詞回しから始まる。

今観るとややくどさを感じてしまうがそれは大好きだった『犬神家の一族』に免じて耐え抜くこととす。

 

問題は1959年版との映像比較である。

これは専門的な事柄だろうから私にはわからないことではあるがどうしても1959年版の方が「リアルな富裕家族」に見えるのに対し1983年版は「借り物で作られた富裕家族」にしか見えない気がするのは何故なんだろう。

1959年版を見ても「借り物」的に見える人もいるのかもしれないが私の目には1983年版の調度品や衣装はいかにも誂えたセット&普段着ていない仮衣に見えて仕方なかった。

なんといっていいのか、外国人が作った偽の日本人一家のような感じというのだろうか。

衣装代は多額のものとなったらしいがどうしてなのだろうか。

 

1983年、という時代は現在ではもう「昔」になってしまったがこの時期のカメラ位置が悪いのではないだろうか。

1959年版のカメラ位置、つまりパースの取り方の方がいいのではないか。

それは個人的なものなのか、時代の流れなのか、もしそうならいつからこういうカメラ位置になってしまったんだろう。

カメラの位置が高すぎるために軽薄な映像になってしまっているのではないかと思えてならない。

カメラの位置のせいで製作費がすべて無になった気さえする。

もっと低い位置で撮らなければならないのではないか。

そしてカメラを動かさない方が良いのだ。

59年版はどっしりと構えている。

それがいいのだ。

専門家ではないので詳しくはわからないが。

 

 

そこもぐっと我慢して作品の内容に踏み込んでいこう。

 

1959年版を観た後なのであらすじはもう判ってはいるのだが、これも初めて観た59年版のほうがなぜか解りやすかった。

特にわかりにくいのは末娘の妙子の恋心である。

83年版は「大水害」エピソードをカットしている。

確かにこの場面は59年版でもいきなりスペクタクルになってちょっとおかしいのだがしかし妙子が貧乏な板垣を尊敬し愛することになるこれ以上ない説得力がある。

それをカットしたために83年版では妙子の恋がこれもまた軽薄なものになってしまった。

本来なら時代の移り変わりとともに「金や家柄ではなく人柄と生活していく力」を持つ男性に惹かれる若い女性の描写になるはずがただの尻軽女に成り下がっているのではないか。

ボンボンの代表である啓ボンも59年版はどことなく憎めない可愛さと優しさもあったキャラだったのが83年版は単なる人でなしになっていた。

なにもかもよくわからない。

 

二姉・幸子の夫である貞之助は59年版ではあまり目立たなかったのが83年版では石坂浩二が演じただけあってか、かなり目立った演出となっていた。

もともと原作者の谷崎潤一郎自身がモデルである貞之助は83年版では義妹・雪子に手は出さないものの恋心を抱いている描写がされる。

物語の運びとしても貞之助が雪子の食事をする口元に見惚れる場面から始まり、ついに嫁いでいくこととなった雪子を想って泣く場面が終盤となっている。

つまり59年版はあくまでも四姉妹の映画であるのに対し83年版は男の視線を通した作りになっているのだ。

 

私は『犬神家の一族』が好きで市川崑監督は素晴らしい監督だと今まで疑わずにいたのだが今回『細雪』1983年版を観てそれは作品によるのだと気づいてしまった。

申し訳ないが娯楽的なミステリーものには向いているのだが谷崎文学を映像化するという力はなかったのではないか。

市川崑監督の妻である和田夏斗氏はこの作品の映画化に反対されていたようだ。

その主旨は判りかねるが市川監督には難しいと思われていたのではないか。

むろん駄作とは言わないし娯楽作品として楽しめるものでもあるかもしれないがどうしても観てしまった59年版と比較して品格が物足りない。

撮影は金田一シリーズでも同じ長谷川清という方だが撮影作品を見るとやはり娯楽作品が並ぶ。

文芸もののカメラというのもあるのかもしれない。(考えたことはなかったが)

 

ところで83年版の特徴としてお手伝いさんたちへの高圧的な態度、というのがあると思うがこれはどうだったんだろうか。

「これがリアルなお嬢様」として描かれたのか。

なんとなくちぐはぐな気もする。