昨晩の記事から続けて書きます。
ネタバレします。
先日『八つ墓村』新作映画発表にXがざわめくのを見て驚いた。
私はなぜこんなにも日本人が『八つ墓村』に引き寄せられるのかがよくわからなかったのだ。
半日考えてやっと何かが見えてきた。
日本人は「父親が大嫌いなのだ」と。
『八つ墓村』は「狂ったお父さんの話」だ。
愛人とその子供を虐待し彼らが逃げ出した時には周囲の人たちを虐殺していく。
その行動には理路整然とした根拠などない。
邪知暴虐の王でしかない。
つい邪知暴虐と書いたので『走れメロス』を思い出したけど『八つ墓村』の父親はあの人殺しの王とそっくりではないか。
が、別に人々は本作に『走れメロス』をいちいち重ねているわけではない。
単に田治見要蔵に(自分自身の)親父の姿を重ねてしまうのだろう。
というかだからこそ『走れメロス』もいつまでたっても人気なのだ。
不思議だ。
邪知暴虐の親父が憎いからといって「立派なお父さん」が描かれた映画やマンガを見る気にはならないのだ。
むしろ「立派なお父さん」が登場するコンテンツは不人気になってしまうだろう。
人々が観たいのはこれでもかというように「最悪なお父さん」なのだ。そうした憎むべき蔑むべき父親像を見た時、なぜか人の心は満たされる。
やはりそうだったのか、と。
これまでの様々な作品を思い起こしていくとそれがわかる。
しかしここで注意しなければならないのは「立派な父親」も許される時もあるということだ。
それは「目玉のおやじ」に代表される気の毒な状態にあるお父さんだ。息子を見守りたいために目玉だけになっていしまったというような悲惨なお父さんなら良いのだが立派な姿のお父さんは観たくないというのが心情なのである。
先日細田守監督の『果てしなきスカーレット』が公開され異様なほどの反感を買ってしまった。
観ていない私は「なぜここまで嫌われたのか」と訝しんでいたのだが「その論理」で考えれば簡単にわかる。
日本人は立派な父親を見たくないのだ。
『果てしなきスカーレット』は『ハムレット』を下敷きにしているという。
ハムレットの父王は立派な男性であり勇者だった。その父王が弟つまりハムレットの叔父に殺される。父王を尊敬し愛していたハムレットは父の仇を討とうとする、という話であり『スカーレット』がそれを元にしているなら父王もまた素晴らしい男性なのだろう。
そこが「売れない原因」なのだ。
つまり作品を作る際『ハムレット』を選択してしまった時点で敗北は決定していたのだ。
情けない父親である『リア王』だったらまったく結果は違っていたのではないか。
日本人はしょぼい風体の『リア王』が大好きだからだ。一方偉大なハムレット父は苦手なのだ。
だがそもそも細田監督のテーマは「繰り返される戦争をどこかで止める」であった。それゆえの『ハムレット』選択になったのだ。かと言って『リア王』でもやれそうな気もする。
だがここでさらなる問題がおきる。『リア王』は黒澤明『乱』で使われたとあまりにも有名である。『リア王』をまた使う、しかも黒澤の後に、というのは難しい。
それでやむなく『ハムレット』になったのだろう。
が、繰り返すが日本では『ハムレット』は人気ない、と思うのだ。
しかも「良いお父さん」が必須アイテムだ。「良いお父さん」じゃないなら復讐なんかしたくないからだ。
やはりどうしてもヒットする未来が見えない。
『果てしなきスカーレット』は『ハムレット』を下敷きに選んだ時すでに間違えていたのである。
もし『スカーレット』の復讐の原因が「父親でなかった」ならとは思うがそれだともう『ハムレット』を下敷きにしたと言えなくなってしまうだろう。
日本人はもう昔の「父の仇、いざ勝負」に何の感動もしないのだ。
(伍子胥にだって共感しないだろう)
なぜ日本人がこんなに父の仇に感動しなくなったの、
勇敢な偉大な父を尊敬しなくなったのか。
それはむろん太平洋戦争における敗北からである。
あれほど戦意高揚させられ勇猛果敢になることを強要されたあげくなんの成果も得られなかった。
そして敗北した父親たちは惨めな姿をさらすこととなった。
そうした「戦争で負けた父親たちをもう一度勇者にするためのアニメ」が『宇宙戦艦ヤマト』だった。
松本零士も参加したこの作品は「父賛歌」の作品であるがそれゆえに短命だったと思われる。
その後作られた『ガンダム』は最初から父そして母に対しても疑問を投げかける作品となっている。
『ガンダム』がシリーズ化して今もなお続いているのは「親からの呪い」への反発、そして反逆を描いているからなのではないかと思う。
結論としていうと(少なくとも現在の)日本では「お父さん大好き」作品は売れないのだ。
「お父さん大好き」をどうしても作りたかったらそのお父さんは「ふざけたしょぼいお父さん」にしなければならない。立派な勇敢な父親とかはNGなのだ。
考えたくなかったら父親を出さないことだ。
そして日本人の心に訴えるのは本作『八つ墓村』のように「狂って暴れる親父」なのだ。
最低最悪の親父を描いた時、それはヒットする。
横溝正史作品はほぼそうなのではないか。
そして脚本家の橋本忍、さらに野村芳太郎はその「悪の父親」像を確たるものにした。
『八つ墓村』が人気であり続けるのは不思議でもなんでもなかったのだ。
現在日本人の心の原点「父憎し」それを描いてくれているからなのだった。