1989年「松竹」
2月、となれば一度は226事件について考えてみてもいいだろう。
ということで鑑賞する。
ネタバレします。
数年前観ようと思った時はあまりにかっこつけているようで耐え切れなかったが今回は抵抗なく観てしまった。なぜだろう。
今現在の時流がテロリズムの予感をさせているからなのだろうか。
本作映画が公開されたのは1989年。
検索してみるとその時のベスト10が様々なカテゴリで出てくるがどれを見ても本作『226』は入っていない。
一位は、キネマ旬報では『黒い雨』日本配給映画での興行成績では『インディジョーンズ最後の聖戦』日本映画のみでの興行成績なら『魔女の宅急便』
むろんどの10位内にもそのタイトルはない。キネマ旬報では30位内にもない。私個人で言えばその30タイトルの中で(今のところ)観たいような作品もなく不思議ではあった。
つまり評価でも成績でも『226』は圏外なのだった。
これは少し意外でもあった。
この時期には「テロリズム」というのは感傷ですらなかったのかもしれない。
現在、私は鑑賞できていないが『閃光のハサウェイ/キルケ―の魔女』が大好評となっている。
前作「1」は観ている。「テロリスト」の物語だ。
富野由悠季氏がなにをイメージしてこの「テロリスト物語」を描いたのかは知らない。
『226』をイメージしているような気はしないが「世界を良くするために」と思考行動していくことは同じなのだ。
さて本作『226』は本当に憐れな作品だ。若者たちが死に急ぐ物語なのだから。
ところが面白いのは、というか不思議なのは彼らの擁護となるはずの「なぜこのようなテロリズム」を行ったのか、部分は冒頭のわずかな画像とナレーション説明がされるだけだ。
いきなり「君側の奸」というような言葉「お前達の気持ちはよぉっくわかる」というような台詞の意味は先に調べていなければすっと入ってこないだろうと思ってしまう。
描かれるのは自分たちの崇高な思い(と勘違いしている思い)に酔いしれた若い肉体の男たちでしかない。
しかも彼らの目的は偶然にも勘違いで行われ遂げることはかなわなかった。
犬死に、である。
なんの成果も得られなかったこの物語はバブル絶頂期に評価されることはなくて当然だ。
しかし35年以上の時を経て今むしろ共感できるのではないのだろうか。
いや、テロリズムの虚しさを我々は何度も教えられてきたからこその悲しい共感なのだ。
ところで本作の将校で一番気になったのは三浦友和が演じた安藤輝三だ。
三浦友和氏が悪いわけではまったくないのだが最近彼のことをあちこちで見聞きした感じではこういうキャラクターではなかった。
1989年当時にはあまりそうした情報がなかったのか、それともそうした下調べなしに描かれたのか、はわからない。
自分が抱くイメージとしては『昭和天皇物語』に登場する安藤輝三である。
天皇の弟君秩父宮を慕い彼を天皇として新しい日本国を作りたいと願った安藤は心優しく穏やかな人格だと思っていたのが本作ではかなりの激情型として描かれておりやや驚いた。
眼鏡をかけた三浦友和の容姿としてはぴったりだと思っているが。
映画の映像の美しさは申し分ない。
バブル期に製作されその後もほとんど評価されてこなかった本作だが今現在初めて評価されてもいいのではないか。
少なくとも『閃光のハサウェイ』を好きな方には観てほしい。