ガエル記

散策

谷崎潤一郎『細雪』そして山崎豊子の『ぼんち』

谷崎潤一郎小説はこれまでいくらか読んでみてもそれ以上ハマる感じはなくてこの『細雪』にまでたどり着いていなかったのだが今回実践中の「近代日本作品を読む・観る」でやはり無視できない感じがあった。

 

特に今現在、世界が不穏な予感を偲ばせる中読むと谷崎潤一郎の切なく苦しい思いが伝わってくるようだ。

この小説が太平洋戦争の中で書かれた、というのは切り離せないものだろう。

美しい四姉妹の人生が戦争間近そしてその後の日本の状況と重なっていく。

1943年1月号「中央公論」に『細雪』第一話が書かれたという。この時すでに谷崎は日本の行方を予感していたのではないか。

優美な世界を描く作品は当時軍部によって雑誌掲載そして配布を禁じられるが谷崎は戦後まで書き続け出版しベストセラーとなる、と記されている。

あの日本軍部に逆らってまで書いたことにこちらが怖じ気づいてしまう。

しかもこの作品は居丈高な反抗ではなく終始三番目の雪子の嫁ぎ先を心配し末娘とボンボンの我儘な遊興ぶりを眺めているようなお話なのである。

ごりょんさんがコンサートに行く際に新しい帯が「きゅーきゅー」鳴るので何度も帯を変える騒ぎだとか、蜂が紛れ込んできてきゃーきゃー騒いで逃げ回るだとか、雪子の見合い相手がなかなかこれという男性が見つからないだとかお春どんは顔は可愛いが不潔で困るだとかそうした「どうでもいいようなこと」が延々と描かれているばかりなのだ。

物凄い哲学や真理が文字で書かれることはまったくない。何もない退屈な物語としか思えない。多少災害におけるアクションシーンはあるもののそこで何かが破壊されたり

だがこうした安穏とした退屈な日々こそがなによりも大切なものなのだ、と谷崎は書き続けたのだろう。

しかし四姉妹は結局美しいままでいることは許されない。

末妹、妙子は認められるはずもないバーテンの男との子を身ごもり身を隠しひとりで出産をすることとなり死産してしまう。

その死んだ赤子は信じられないほど美しい容姿の女児だった。その美しい顔を見た周囲の者たちはあまりの酷さに咽び泣く。

「美しかった日本を死なせてしまった」という思いで谷崎はこの最後の場面を書いたのではないか。

「美しく育つはずの日本という赤子」は生まれそこなって死んでしまったのだ。

 

だが実際の日本「醜い日本」はその後も育っていくしかない。

日本ではなくなった日本なのだが、それはそれで仕方ない。谷崎から見たらそこに美しさはもうないのかもしれないが私たちは和服を着ることもなくジーンズをはきはじめさらにはジャージ姿で生活している。

おちょぼ口などしたこともなくハンバーガーにかぶりつく。ドレスに憧れても和服は着たくないのである。

戦争はもっとごめんだが『細雪』世界は望まない。

 

そして『細雪』の後に山崎豊子描く船場を観て読んでなんとなく『細雪』に対する反駁のようにも感じた。

『細雪』はやはり谷崎潤一郎による船場を舞台にした夢の世界なのだ。

そこには美しい和服の女性たちが揺蕩う。

山崎豊子『ぼんち』『女系家族』はまったく違う強かな女たちが住まう。

そのどちらも私にとっては見知らぬ町であり興味深い物語である。