ガエル記

散策

『わるいやつら』野村芳太郎/原作:松本清張 三年ぶり再鑑賞

1980年「松竹」

再鑑賞です。

以前書いた記事はこちらにあります。

 

gaerial.hatenablog.com

ほぼ同じ感想を持ちましたが、今回は日本近代史としての鑑賞でもありますのでもう一度書いてみます。

 

 

ネタバレします。

上記事の日付を見たら三年前の2月28日であった。今日は2月27日である。

 

内容としては「気持ち悪い」しか書いてなくて笑うんだが三年の間に「松本清張」もいろいろと読んできたし少しはまともに観れたのではないかと思う。

本作の原作はまだ読んでないもののやはり松本清張は女性視点で社会を描いているのだなと改めて感じた。

いわゆるこれは現代版『源氏物語』なのだ。というか今ではすでに遠い過去になったので「昭和版源氏物語」というべきだけど。

しかし昭和版光源氏たる戸谷信一のさもしいことよ。親の代からの医院を受け継ぐ苦労知らずのボンボンで容姿も良く程度はどうであれ医師となれたのに彼はいったい何が目的なんだろう。

昭和は「欲望の時代」だった。

私は『源氏物語』は紫式部が男性への、それもモテる男性への辛辣な諷刺として描いたと思っているのだけど本作もまた松本清張による「モテる男性」への痛烈なしっぺ返しと感じられてしまう。

清張作品はとにかく「かっこつけた、いい気になってるイケメン男性」への攻撃が凄まじい。

ヘタな作家であれば単なる「やっかみ、いじけ、妬み」の発露になってしまうだけだが清張作品はそれが物凄い面白さで描かれてしまうから読む者、観る者はそうとは思わずただただ源氏=信一が追いつめられていく様をはらはらしながら見守ることになっていく。

先日私はかの有名な感動作品『砂の器』つまり世の中に「ハンセン病で苦しんできた人々、親子の想い」をつきつけて観る者を号泣の渦に叩き落すで有名なあの映画の原作、松本清張著『砂の器』はまったくハンセン病の苦悩を描いたものではなく「色男によって辛苦を舐めさせられた女性たちの苦しみを描いた作品」だと書いたことを翻そうとは思っていない。

松本清張の最高作品と言われているであろう『砂の器』は「男性によって虐待された女性」を描いたものなのである。

『砂の器』はあの映画の中で描かれたハンセン病の父を持つ少年が作った『砂の器』なのではなく男性に弄られ続ける女性が「私が作るのは砂でできた器でしかない」という呻き声なのだ。

 

本作でも同じく女たちが弄ばれていく。

そして源氏=信一が唯一愛してしまった女である槙村隆子だけは彼を微塵も愛していない。

そのことだけでも我々は留飲を下げられるのではないか。

 

令和現在、信一は多少変化するだろうか。

とはいえ色男がいい気になって闊歩することへの怒り嫉みは依然として存在するだろうから本作が色あせることはなさそうだ。

映画では医師が被害者に毒を飲ませた後、死亡診断を自由に書けてしまうということがミステリーの鍵になっているがこの部分を現代風にアレンジできそうだ。

 

『わるいやつら』は反吐が出そうな映画である。

ほんとうに気持ち悪い。